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酒井順子「言葉のあとさき」

「『気づき』をもらいました」

 動詞の名詞化は、そうしてみると感謝の機会拡大のために行われている気も、してくるのでした。「気づいた」だと、気づいたことの手柄が自分のものになってしまいますが、「気づき」と表現すれば、「もらう」ことが可能になるので、手柄を相手のものにすることができる。「気づき」をくれた相手に「ありがとう」と言うことができるではないか、と。
 同じように「感動した」ではなく「感動をもらった」にすれば、相手に花を持たせることができ、もちろん感謝をすることができる。「勇気が湧いた」でなく「勇気をもらった」、「元気になった」ではなく「元気をもらった」という使い方にしても、同様のことが言えましょう。
 それは、自分よりも相手のことを大切に考えた、優しいものの言い方です。小泉元首相の、
「感動した!」
 は、ないおうからの興奮の噴出をストレートに表現したからこそ話題になった言葉ではありましたが、今時の人にとっては少し、自分アピールが激しすぎるように聞こえるのではないか。
 やったりとったりするのが、勇気や元気や感動など、ポジティブな感情ばかりであるところからも、今時の人の優しさがにじみ出ます。
「恨みをもらいました」
 とか、
「悲しみを与えられた」
 という表現が見られないのは、やはりネガティブな感情がやりとりされたことになってしまうと、「ありがとう」とは言えなくなってしまうからなのではないか。
 どんな時も「ありがとう」を忘れず、自分よりも他人のことをまず考えるという優しいもの言いをする今時の人々は、しかし言葉の上で少し受け身になりすぎてはいまいか、という気もするのでした。感動やら勇気やら元気やら気づきやらを自分の中で生み出したり、それらを積極的に獲りに行くのではなく、常に誰かから与えられることにしておきたいというのは、優しいと言うこともできるし、怠惰と言うこともできる。マグロ状態(生きている時のマグロではなく、人間の性行為中のそれを指します)と言うこともできましょう。
 このまま行くと、
「おいしい!」
 といったストレートな表現は敬遠され、
「おいしさをもらった」
 と言わずにいられない人が出てくるのではないか。‥‥と考えた時に思い浮かぶのは、若者達が頻用する「おいしみ」とか「ヤバみ」といった「み」表現です。最後につけることによって、動詞も形容詞も、無理矢理名詞化することができる「み」が、彼等の間では便利に使用されている模様。
 どの時代の若者にも流行り言葉はありますが、「み」は特に、時代の空気をよく表している表現です。たとえば「わかりみが深い」といった言い方を見ると、「わかった」と言うよりも、「わかる」という事からの距離が離れているのであり、誰が「わかった」のかを曖昧にさせる。
 それは、「わかりみ」が自分のところに舞い降りてきた、という感じ。努力して理解しようとしたというよりは、はからずも理解してしまったという、ぎょうこうかんが漂うのです。
「嬉しい」でなく、「嬉しみがある」。
「すごく眠い」ではなく、「眠みがすごい」。
 こういった表現を聞いていると、若い人達が森の中で、名詞化された感情を楽しげに採取している様が、目に浮かぶかのようです。感情のコントロールが難しいお年頃だからこそ、「み」を使って距離を置くようにしているのかもしれない彼等。うまいこと言うな、と思うのですが、やがて「ヤバみー」と言いづらい年齢になった時に、感情の生々しさに打ちのめされないようにはしてほしいものだと思います。

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酒井順子

さかい・じゅんこ●1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。立教大学社会学部観光学科卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『下に見る人』『ユーミンの罪』『地震と独身』『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『次の人、どうぞ!』『男尊女子』『家族終了』など多数。

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