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酒井順子「言葉のあとさき」
時代が変われば言葉も変わる。
そして、言葉の影に必ずついてくるのはその時代の空気。
かつて当然のように使われていた言葉が古語となり、流行語や略語が定着することも。
言葉の変遷を辿れば、日本人の意識の変遷もおのずと見えてくる。
近代史、古文に精通する酒井順子氏の変化球的日本語分析。

「自分らしさ」に疲弊して

言葉のあとさき 第4回

 2019年末の紅白歌合戦において、氷川きよしさんの生まれ変わったかのような姿を見て、感動した私。十数年前に一度コンサートへ行ったことがあったのですが、また「生で見たい!」という気持ちになり、コンサートへと足を運びました。
 氷川さんといえば、長らく演歌界のプリンス的な存在であり続けたわけですが、四十代になってそのイメージから脱却し、中性的魅力を解き放つようになりました。コンサートでは、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」も熱唱。この歌が最も似合う日本人ではないかと思われ、思わず目頭が熱く……。
 イメージチェンジのせいか、以前のコンサートと比べ、客層は明らかに若返っていました。とはいえもちろん、昔からずっと応援してきたであろうおばあちゃん達の姿も、たくさん。
 イメージチェンジ後、氷川きよしさんは「『きよし君』にはさよなら。『きーちゃん』として生きていきたい」
 というようなことを言っていました。しかし、旧来のファンの中には、「きよし君」→「きーちゃん」への変貌へんぼうを受け入れづらい人もいるのでしょう。会場は、
「きよし! きよし!」
 と叫ぶ人と、
「きーちゃん! きーちゃん!」
 と叫ぶ人に、二分されていました。
 私は、「きよし君」→「きーちゃん」という変化を寿ことほぐ者です。それまでずっと隠してきた部分を解放することができたのだと思うと「よかったねぇ」と、言いたくなる。
 しかし知り合いのおばさまは、その変貌に対して、
「何だか、気持ち悪いわよねぇ」
 とおっしゃっていましたっけ。世代的に、男性が女性的な雰囲気を醸し出すことに嫌悪感を覚えるのかもしれません。
 きーちゃんの新しい曲の中には、「わたしらしく」「あなたらしく」「自分らしく」といった言葉が、ちりばめられていました。昨今、「自分らしく」という言葉が大流行しているせいで、その言葉のインパクトが薄れていますが、きーちゃんのような人が「自分らしく」と言うと真実味があることよ、と思ったことです。
「きーちゃん」を「気持ち悪い」と言ったおばさまは、おそらく「男は男らしく」「女は女らしく」と言われて育った世代です。今となっては、「男らしく」も「女らしく」も、PC(ポリティカル・コレクトネス)的に言ってはいけない言葉になってきましたが、その昔は、男の子は男らしく、女の子は女らしくしつけるのが当然。男が女っぽかったり、女が男っぽかったりするのは、明らかに罪だったのです。
 その手の規範が怪しくなってきたのは、1960年代後半かと思われます。ヒッピームーブメント等の影響によって、髪を長く伸ばす男や、ノーメイクでジーンズ姿の女が増加。従来の男らしさ、女らしさが無視されるようになってきました。若者の男女の区別がつかない、ということを当時の高齢者は嘆いたのだそう。
 そんな時代にベストセラーとなった、『女の子の躾け方』という本があります。元東宮侍従で、現上皇夫妻の三人の子供達の御養育係を務めた浜尾実はまおみのるによる本なのですが、ここで強調されているのは、男と女は区別して育てるべき、ということでした。
 自身は五人の子を持つという、著者。男の子は理論的な頭を持っているのに対して、女の子はそうではなく「生活に即してものを考える」からこそ、教科書も男女同じではおかしいし、男女共学もダメ。そんなことをしていたら中性的な人間が育ってしまうではないか、とのことなのです。浜尾がカトリック信者だからということもありますが、「中性的な人間」は存在してはならないという意思が、そこにはありました。
 この本には、「育児こそ女性の最高の天職」「子供は多ければ多いほどよい」といったことも、記されます。今では過激に聞こえる浜尾の論は、彼が当時の世に危機感を覚えていたからこそのものだったのでしょう。男も女も中性化が進む中で、「女らしい女」の像を、浜尾は世に示さずにはいられなかったのではないか。
 浜尾の本はおおいに売れましたが、残念ながら男女共学は禁止されませんでしたし、男女は同じ教科書を使い続けて、今に至ります。
「女の子がそんなことしたらおかしい」
「男の子のくせに泣くな」
 といったフレーズが、今や子育ての現場において禁句となっていることを知ったら、浜尾は草葉の陰でどれほど嘆くことでしょう。
 その後、男らしく生きることが苦痛な男も、女らしく生きたくない女もたくさんいることが、わかってきました。性ははっきりと二分されるものではなく、様々な性意識を持つ人が自らを偽らずに生きるようになったのであり、氷川きよしさんの「自分らしく」という宣言も、その表明でしょう。
 この「自分らしく」という言葉は今、男らしさや女らしさというくびきに苦痛を覚える人以外にとっても、便利な言葉になっています。歌のみならず、ドラマやコマーシャルなど、あらゆるシーンで「自分らしく」は使われまくっているのです。
 先日は、とある病院の女子トイレに入ったら、
「自分らしく生きられないと感じたときに」
 と書いてあるパンフレットが置かれているのを発見しました。それも、発行しているのは地元の区。「今時は自治体まで、自分らしく生きるサポートをしてくれるのか」と思わず手にとってみたら、それはDVで悩んでいる人に、「悩んでいないで相談しましょう」と勧めるパンフレットだったのです。
 また、結婚関係の雑誌には「自分らしい結婚式」をするようにとの記事がありましたし、中高年向け雑誌の終活特集には、
「自分らしい葬儀がしたいですね」
 との高齢者の声が。我々は今、最後の最後まで自分らしくあり続ける努力をしなくてはならない時代に、生きております。

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酒井順子

さかい・じゅんこ●1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。立教大学社会学部観光学科卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『下に見る人』『ユーミンの罪』『地震と独身』『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『次の人、どうぞ!』『男尊女子』『家族終了』など多数。

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