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内閣の「孤独・孤立対策」は若年性孤独者たちに届くか 第9回 現代の隠遁者たちの見えない本音

 人は、なるべく孤独にならないように生きていこうとします。西行法師や兼好法師、山頭火や尾崎放哉といった人々の場合は、あえて人から離れて隠遁したり放浪したりするという生き方が珍しいからこそ、その生き様が芸となりました。が、彼等のような詩心を持っていない人は、家族や友達がそこそこいた方が、平穏な人生を送ることができるのです。
 とはいえ現代は、もしかすると隠遁者がかつてないほど多い時代なのかもしれません。コミュニケーションの手法が複雑化し、コミュニケーション能力というものが重要視されている今。コミュ力の欠如を自覚している人や、ストレス耐性が低い人達は、さっさとコミュニケーションの道を絶って、自室に隠遁しています。ウーバーイーツもコンビニもある今は、自室でも簡単に隠遁生活ができるのです。
 SNS時代となって以降、友達の多さや友情の質の高さ、家族の仲良し度は、世間への重要なアピールポイントとなっています。「孤独ではない」という状態が他人に誇れるものになっているほど、今は孤独な人が増えているということなのでしょう。
「孤独」のイメージも、変化しています。友達との楽しいクリスマスパーティーをSNSにあげる人がいる一方で、クリぼっちの様子をSNSにアップして、自虐の笑いを取る人も。孤独な人が、自身の孤独ぶりを客観視した上で表現するというその状態は、ほとんど山頭火なのであり、「孤独は孤独で、一つの生きる道」という感覚が広まっている。私の青春時代、クリスマスイブに恋人と赤プリに泊まる人(そういう時代だった)は、一人でイブを過ごす人を見て「ああはなりたくない」と差別しましたが、今やその手の差別は消えていましょう。
「孤独」という言葉の反対語が、私には思い浮かびません。「常に他者と共にいること」が孤独と反対の意味になろうかと思いますが、その状態を一言で言い表すのは難しく、もしかしたら「リア充」という語が「非・孤独」の意に近いのかも。
「孤独」の反対語が存在しないのは、かつては「非・孤独」の状態が人間としては当たり前だったからではないかと、私は思います。
 テクノロジーが発達していない時代、人はまとまって住まないと生きていくことができませんでした。皆が協力し合うことによって家族も地域共同体も成立したのであり、共に住み、共に生きることが当たり前すぎて、「共にいる」という状態には名前がつかなかったのではないか。
 

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酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』など多数。

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