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ハーバードのことは考えずに、東大だけを見て「すごい」と思い込むことの幸せ感 第6回 東大信奉と低学歴信仰

 良い大学を出て官僚になったり有名企業に就職するような人は、往往にして冷たい。学歴なんてどうでもいいから、人情味のある人になった方がいいんだよ。……という感覚をさかのぼると、昭和五十四年(一九七九)に始まった名ドラマ「三年B組金八先生」に行き着くのではないかと、私は思っています。その第一シリーズにおいては、杉田かおる演じる中三の女子生徒が、同級生の子を妊娠するというショッキングな事件が発生するのですが、「産む」と決めた杉田かおるに、その両親は冷たいのでした。
 それというのも杉田かおるの兄は、東大を目指す受験生。大切な時期に騒動を起こした妹を厄介者扱いします。家父長制パパである父親は娘の妊娠に怒り狂い、父の奴隷のような母は、夫と息子に怒鳴られないようにとビクビクするばかり。兄の受験のことしか眼中になく、娘のことを顧みない最悪な家庭なのです。
 結果的に兄は東大に落ちて、自殺してしまいます。当時中学生だった私は、ドラマにこの家庭が登場する度に、どんよりとした思いを抱いたものですが、大ヒットしたこのドラマが昭和人に与えた影響は、大きかったことでしょう。特に杉田かおるの父、そして東大を受ける兄は尋常でなく自己中心的で冷淡な人間として描かれたのであり、「受験は、人間の心と家庭を破壊する」「東大を目指すような人は、自分のことしか考えない」といった悪印象を、強く残したのではないか。
 このドラマの舞台は下町の足立区でしたから、勉強がよくできる子供よりも、勉強は苦手だけれど親の手伝いはよくする子とか、ツッパリなどの方が「本当は良い子」として厚く描かれがちでした。公立中学の三年生のクラスが舞台なので皆、高校受験はするものの、全体的に「勉強は、さほど大切なことではない」というニュアンスが漂ったのであり、その感覚が四十年以上経った今も、低学歴信仰を下支えし続けているようにも思うのです。
 このように、勉強、受験、学歴といった言葉に、負の印象がつきまとっている日本。そのために、本来は良いことであるはずの、「頑張って勉強して、良い大学を目指す」ということが、まるで打算的な行為のように見られることも。結果、
「人生の選択肢を広げるためにも、良い大学に進んだ方が良い」
 と考えて頑張って勉強する層と、
「好きでもない勉強を多少頑張っても、どうなるものでもないし」
 と努力を放棄する層とが分離してしまったのではないでしょうか。
 しかし低学歴信仰を支える考え方には、誤解が混じっている気がしてなりません。たとえば、学歴が高い人は苦労知らずで人情味がないという感覚は、やはり偏見というものでしょう。学歴別の性格調査をしたわけではありませんが、高学歴者にも善人はたくさんいるし、低学歴者が皆、温かい心を持っているわけでもない。「頭の良い人は冷たい」と見られがちなのは、「美人は性格が悪い」などと言われがちなのと同じ理屈ではないか。
 高学歴者が苦労知らずというわけでもありません。聞けば中学受験の時など、高学歴者も大変な苦労をしているもの。遊びたい盛りの小学校高学年の時代を受験勉強に費やし、さらには高校時代も大学受験のために力を尽くしたというのは、「目標のためにはとことん頑張ることができる」という能力の証でしょう。
 見事東大に進んだ後に官僚となる人も多いわけですが、そんな人達はさほど高くない公務員の収入にもかかわらず、ブラック企業的な残業量をこなしています。厳しい受験生活で培った資質を、仕事にも生かしていると言っていいのではないか。

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酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』など多数。

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