2022.11.4
子は、親に左右される人生を脱出できるか 第5回 ”親ガチャ”を嘆く若者の問題意識
今、書店に行けば、親の非道ぶりを訴える子のエッセイが、色々と並んでいます。ヤングケアラーだった人、親がアルコールや薬物の依存症だった人等、種類は様々なのですが、子供達は「問題のある親の元で育った」という体験をさらけ出し、同じ経験を持つ人と共有するようになりました。
そんな中でもある事件をきっかけとして大きく注目されるようになったのが、「宗教二世」の存在です。二〇二二年七月に起きた安倍晋三元首相の銃撃事件は、山上徹也容疑者が抱き続けた「親ガチャに外れた」感が積もり積もって暴発したかのような犯行でした。
山上容疑者は、両親ともに高い学歴を持ち、本人も名門高校に通っていたということで、一般的な意味での「親ガチャ」はむしろ当たりと言ってもいい家庭で育ったようです。しかし母親が旧統一教会に多額の献金を繰り返したことによって、家庭が崩壊。容疑者は、安倍氏が旧統一教会と深い関係を持っていると思って凶行に及んだ、と報道されました。
この事件を機として、旧統一教会に限らず、親の信仰の影響を強く受けつつ育った子供達の存在が、クローズアップされました。自分が選んだ宗教ではなく、親が入っている宗教に生活を制限されて育った人達の苦悩を、我々は知ることとなったのです。
山上容疑者もまた、母の行為をいくら分析しても、その底に愛情を見ることができなかったのではないでしょうか。多くの悲しみを背負った母が何かにすがりたかったことは理解できても、その悲しみの底に自身に対する愛情が発見できない絶望が引き金となった凶行だったのではないかと、私は思います。
少子化が進み続ける今、子供という存在は、親にとっても社会にとっても“貴重品”であり、貴重品であるからこそ、フラジャイルとして扱われています。親の経済力や子育て能力等に多少の問題があっても、昔であれば「仕方がないですね」で済まされたのが、今は「一人一人の子供を大切に育てなくては」と、丁寧にケアされるようになってきました。親の階級をそのまま子に引き継がせていたら、日本という国が保たなくなってきたのです。
親達は今、「毒親」「親ガチャ外れた」と我が子から思われないように、細心の注意を払って子育てをしていることでしょう。親達の多くは、期待通りに子供が育たなくとも、
「子ガチャに外れた」
とは言いません。子供が神からの授かりものだとするなら、どのような子供が生まれるかにも、ある程度のガチャ要素が入っていましょうが、そのように言うことができるのは、私が子を持たない人間だから。世の親達は、たとえ「子もまた、ガチャ」と思ったとしても口には出さず、「どんな子に育つかは、親の責任」という姿勢でいるのです。
親は決して「子ガチャ」とは言わない、と知りつつ、子は親ガチャの外れを嘆きます。努力で階級上昇を果たした角栄さんや清張さんのような人もいるけれど、そんなジャパニーズ・ドリームははるか昭和の昔のもの。今は、努力次第でどうにかなる世ではないと感じているからこそ、若者達は不公平な仕組み自体をどうにかすべく、「親ガチャ」という言葉を生み出したのだろうと、私は思います。
*次回は12月2日(金)公開予定です。
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