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子は、親に左右される人生を脱出できるか 第5回 ”親ガチャ”を嘆く若者の問題意識

 このように、良かれ悪しかれ親が置かれた状況を子供が受け継ぐのは当たり前、という感覚は延々と続いてきました。しかしそんな世の中に「親ガチャ」という言葉は、
「金持ちの子は金持ちで、貧しい人の子は貧しくなるのは、不公平なのではないか」
 との一石を投じたのです。その石によって「それって、不公平だったのか!」と驚いた大人も多いのではないか。
 一九八四年に刊行されてベストセラーとなった『金魂巻』(渡辺和博とタラコプロダクション著)は、主婦からコピーライターまで、様々な職業につく人のマルキン(お金持ち)像とマルビ(貧乏)像とを紹介するという本でした。マル金、マルビそれぞれについての解説を読むと、マル金側の人々は、親もお金持ちとされるケースが多いのに対して、マルビの人はその逆となっています。この時代も、階級が再生産される親ガチャ状態であることに変わりはなかったのです。
 しかしこの本が出た約四十年前は、親次第で人生が決まるという事実が、笑いに転換されました。マルビ側の人々が、
「都内の親の土地を譲り受け、家賃も払わずに生きるマル金と比較され、自分の困窮生活が笑いのネタになっているのは人道的観点から如何なものか」
 などと申し立てた様子はない。
 この本では、マル金がことさら礼賛されるわけでもありません。マル金もまたマルビと同様に揶揄され、というよりも人を無理矢理マル金とマルビの二項に分けるという自らの手法をも、この本は嗤っていたのです。しかし実際には、マルビの人々はこの本によってマル金に対する憧れを募らせたのであり、そうこうするうちに、時代は狂乱のバブル景気へと向かっていくことになります。
 やがてバブルが崩壊した後、日本では長い不景気の時代が続きます。そこから抜け出た様子もないままに、国の勢いが弱まり続ける気配が濃厚な、日本。マル金はマル金を、マルビはマルビを再生産していることは変わりませんが、その間にいる中間層が、ぐっと減少。四十年前、安心してマル金やマルビを笑うことができたのは、一億総中流の時代であったからこそだったのでしょう。
 親ガチャの不公平さを訴える人々は、そんな時代の空気を、敏感に察知しているのかもしれません。中間層の厚みを取り戻すためにも、マルビはマルビのままでいてはいけない。マルビからの上昇を図らなくてはいけないのではないか、と。
「親ガチャ」を嘆く今の若者達が問題視しているのは、親の経済力の多寡だけではありません。親の子育て能力や子育て環境の良し悪しについても、子供達は「自分達で選ぶことができない、ガチャによって与えられたもの」として告発するようになっています。
 たとえば、親からの暴力や暴言。かつては広義の「しつけ」として捉えられていたその手の行為は今、決して許されない「虐待」になっています。その手の行為に及ぶ親は「毒親」と言われ、「毒親育ち」の子供達は、親ガチャ運のつたなさを世に訴えるのでした。
 また家事や家族の世話などを担わされた子供は、「ヤングケアラー」と言われるようになりました。印象的なネーミングがなされたことによって世間からの注目も集まりやすくなり、その嘆きに対するケアも、検討されているのです。
 親ガチャに外れてしまった子供達の種類が細分化され、それぞれに応じたきめ細やかな支援が講じられはじめた、現在。ポリコレ時代であるからこそ、そして子供の数が少なくなり、一人一人を大切に育てなくてはならないからこその、現象でしょう。
 過去を振り返れば、昔の子育てのあり方は、今とはだいぶ異なっていました。昔の小説などを読むと、兄や姉が小さな弟妹をおぶって子守りをしながら風呂を焚く、といった姿がよく見られますが、そのようなことをさせられる子供が今いたとしたら、立派なヤングケアラーとされるに違いない。

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酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』など多数。

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