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夫婦間の嫉妬の火種は「浮気」から「キャリア」へ? 第2回 男高女低神話のゆらぎ

「男を立てる」という手法は、儒教の思想から発生したものなのでしょう。男と女のみならず、親と子、主と臣など、様々な人間関係を上下関係に厳格に当てはめることによって、スムーズな組織運営を図ったのが、儒教。男性が自分より「高」な位置からずり落ちそうになったら、自分がうんと身をかがめて男よりも低くなることが、女徳とされました。
 それにしても、女性から「立てられる」ことは、男性にとって屈辱ではないのだろうか、とかねて疑問だった私。しかしとある中年男性に、「妻のどこを好きになったのか」と聞いた時、
「自分を立ててくれるところ」
 と答えるのを聞いて、私は自らの認識を改めました。女がわざと「低」になることは、彼等にとって恥ではなく、思いやりと感じられるらしいのであり、その女徳は、男性に結婚を決意させるほどの魅力となるのです。
 とはいえ今の若者は、「男を立てる」と聞いても、その意味がわからないかもしれません。「男を立てる」技術を身につけていたのは、おそらくギリギリ、「三高」を求めていた女性達まで。当時の女性は、将来の生活の安定度を高めるために、絶妙に身を低める技術を体得していたのです。その世代がティーンだった時代に流行った「ぶりっ子」というのもまた、そんな技術の一つの発露だったのだと思う。
 三高が流行ったのはバブルの時代でしたが、バブルが崩壊して右肩下がりの時代に入ると、状況は次第に変化していきます。三高男性と結婚して専業主婦になるというライフコースは、女性にとって狭き門に。「妻は働かず、家庭を守ってほしい」という男性は減少し、「妻も稼いでほしい、それもできるだけ多く」という男性が増加してきたのです。
 女性側の「全てが自分よりも上の男性と結婚したい」という願望も、薄れていきました。女性の学歴も年収も、そしておそらくは身長も上昇している中で、「全てが自分よりも上」の相手を欲するのは無謀、ということに女性達も気づくと、男高女低神話にゆらぎが生じたのです。
 そうこうするうちに登場したのが、“妻のキャリアに嫉妬する夫”でした。高キャリア女性と結婚し、最初は「妻は家にいてほしい、などと思わないリベラルな俺」を自認していたのだけれど、妻の収入が自分のそれを抜いたことを知ると、次第に心の中がささくれ立つように。
 結果、どうしても耐えられなくなった夫が妻に、
「お願いだ、仕事を辞めてくれ」
 と頼んだものの断られ、結局離婚したというケースもあったものでした。彼もまた、根っこの部分には「男高女低」がしみついていたのでしょう。
 そうこうするうちに、「夫のキャリアに嫉妬する妻」も登場してきました。たとえばとある知り合いの女性は、身長は自分よりも二センチ高いのだけれど、学歴、年収とも自分よりも低い、という男性と結婚しました。彼女は、夫の収入が自分より低いからといって不満に思うこともなく、餃子の王将で食事をする時は夫に支払いを任せ、洒落たイタリアンで食べる時は自分が払う、といった気遣いをしていたのだそう。
 しかしある時、夫が外資系企業に転職することになりました。収入は激増し、仕事のやりがいもアップ。社交の場もグッと増えて、充実した毎日を過ごすようになったのです。
 実に喜ばしい。……のだけれど、彼女は素直に喜べない自分がいることに気づきます。それまではずっと、「自分の方が上」という感覚でいたのに、夫が急にキャリアアップしたことによって、「敵ではなかった相手に抜かれた」という屈辱を得ることに。初めて覚える「夫の方が上」という感覚に慣れることができず、何だか納得できない日々を過ごしているのだそう。

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酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』など多数。

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