よみタイ

私たちは癒されたい ~「女風」に通う女たち~

死にたい気持ちを思いとどまらせた「セラピストとの約束」

「約束」があるからまだ死ねない

 気がつくと3時間が経過し、手元のコーヒーはいつしか空っぽになっている。店主の老夫婦に目をやると、仲良く店内のテレビに見入っているようだ。雨は止みそうになく、漆黒のコンクリートを叩き付け、激しさを増している。窓の外では勢いを増す雨風に揺れる桜の木が、薄ピンク色の花びらを容赦なく散らしている。私たちは、雨に濡れて錐もみ状態で落ちてゆく、はかなげな桜の最後をぼんやり見届けていた。里美さんはゆっくりと、重い口を開いた。

「実は去年の年末、どうしようもなくこの世から消えたいと思ったことがあるんですよ。だけど、セラピさんとの約束があるから、まだ死ねないなぁって思い直したんです」

 里美さんは、そう言って窓に張り付いた花びらを見つめた。私はあえて深くその理由は聞かなかった。長い人生を生きていれば、誰だって気持ちがどん底に陥ることもある。里美さんはとにかく苦しくてたまらなくなった。無性に人生を投げ出し、フェードアウトしたい衝動が、襲ったのだ。だけどそのとき、ふと、セラピストとの約束が脳裏を過ったという。

「その時、私セラピさんと会う約束をしていたんだ、そういえば、予約を入れてあったんだって、ふと思い出したんですよね。前から日にちを空けてもらってるのに、申し訳ないなと現実に引き戻されたんです。それで死ぬことを止めるきっかけになったんですよ」

 思い直せば、セラピストとはこれからまだまだやりたいことがある。いつか夏にパジャマを着たままプールにダイブしたいし、水風船の戦いもしたい。節分の日には豆まきだってしたいし、クリスマスにコスプレするのもいいな。
 そんなことを考えていると、私、まだ頑張れる。もう少し生きていようと思えたのだという。

写真:photoAC
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菅野久美子

かんの・くみこ
ノンフィクション作家。1982年生まれ。
著書に『家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに。』(角川新書)、『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』(毎日新聞出版)、『孤独死大国 予備軍1000万人時代のリアル』(双葉社)、『ルポ 女性用風俗』(ちくま新書)などがある。また社会問題や女性の性、生きづらさに関する記事を各種web媒体で多数執筆している。

Twitter @ujimushipro

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