よみタイ

死にたい気持ちを思いとどまらせた「セラピストとの約束」

自分を満足させてあげられるのは自分しかいない

 目の前でコーヒーを口にしている里美さんは、心なしか晴れ晴れとした表情をしているような気がする。里美さんはコーヒーに目を落としながら当時の心境を振り返る。

「あんパンって上から押せば、横からあんこがはみ出るじゃないですか。それと一緒で当時の私は仕事をしすぎて、病気でよく倒れてたと思うんですよ。行き場のない不満を抑え込んで我慢をしていたら、その我慢を誰かにぶつけるか、自分が潰れると思うんですよね。
だけどよく考えたら自分を満足させてあげられるのって自分しかいない。そのためには、女風を利用したっていいって感じる。女性は全然気負う必要なんてないと思うんです」

 降りやまぬ雨を見つめる里美さんに、私はこれだけは聞いておきたいと思っていたことを尋ねた。
 ――里美さんにとって、セラピストってどんな存在?
 そんな私の問いに、里美さんは即答する。

「んー、風俗の人ですね」
 
 私はその答えに少しだけ驚いた。それだけ「あったかい」空間を提供してくれるセラピストだからこそ、きっと恋心のようなものを抱いているに違いないと私が勝手に想像していたからだ。しかし、里美さんにとってあくまでセラピストは「風俗の人」で、彼氏彼女の関係を望むことはないし、将来結婚したいわけでもないという。里美さんは、セラピストにとって特別な存在になりたいという願望はないのだ。
 里美さんはそんな私の戸惑いを知ってか、言葉を続けた。

「私、ずっと一人で立ちたいと思ってたんですよ。だけど、一人で立つのもつらいときもあるじゃないですか――

 里美さんのまっすぐな視線が私をとらえる。里美さんの言う通り、一人で立たなきゃと思っても、それがすごく苦しいときがある。そして逆説的なようだが、一人で立つためにこそ、切実に他者に寄りかかりたいときもある。
 私は、以前インタビューで女風のセラピストが喋った言葉を思い出していた。彼は、私に自分たちは「止まり木」のような位置づけがいいと言った。きっと人が生きていくうえで、人生には止まり木が必要なのだ。女風とは、社会を疾走し続けることに疲れた女性たちが、しばし羽を休めに帰ってくる場所なのかもしれない。

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菅野久美子

かんの・くみこ
ノンフィクション作家。1982年生まれ。
著書に『家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに。』(角川新書)、『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』(毎日新聞出版)、『孤独死大国 予備軍1000万人時代のリアル』(双葉社)、『ルポ 女性用風俗』(ちくま新書)などがある。また社会問題や女性の性、生きづらさに関する記事を各種web媒体で多数執筆している。

X:@ujimushipro

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