2021.1.29
出汁の香りと白菜の煮物がむっつりイギリス女性を笑顔に変える
サリーは不機嫌に、渋滞について不満を述べながら運転を続けていた。ホームステイの受け入れに力を入れているらしいのに、どうも人との関わりは下手らしい。生粋のロンドンっ子、厳密にいえばちょっと田舎のチンフォードっ子だが、笑顔になりにくく不平を言うほうが得意そうなのは、その土地に住まう人「らしさ」といえる特徴なのだろうか。単純に個人的な性格のような気がするけれども。家に着く頃、「実は」とちょっと気まずそうにサリーは切り出した。何かと思えば、「料理が大嫌いだ」という。「だから、朝も夜も私はあなたに料理を出せない。でも最低限、卵とパンは用意しておくし、インスタントコーヒーも自由に飲んでいいから」。私はそれで何の問題もないと答えた。彼女はほっとした様子で、「私は作るのは嫌いだけど食べるのは好きなの。特に和食は大好きなのよ、よかったら一度くらいは夕飯に和食を作ってくれたりしてもいいわね、そんなことがあると嬉しいわね」と、細かい言い回しはもう覚えてはいないが、確かにこんなふうに、高飛車な物言いでお願いされたのだった。
与えられた部屋で荷ほどきをしていたら、昼過ぎだというのに夫のケナンが帰ってきた。自営業らしく、わりあい時間が自由になるらしい。ケナンは私を捕まえて、日本への好意を話し始めた。トルコ人には親日家が多いが、ケナンもまたそうだった。彼は、かつて仲の良かった日本人の女の子の話を始めた。ロンドンで知り合ったその日本人女性について、性格の良さや優しさなど、たっぷり気持ちを込めて1時間は喋っていた。しまいには「きみもその子と友達にすぐなると思う。今は日本に戻って暮らしているから、帰ったら会ってみてよ」とまで言い出した。サリーとは真逆の性格で、ケナンは随分人なつこい。
ケナンは私を散歩に誘い、町中まで出て「馴染みの店」に連れて行ってくれた。トルコ移民であふれかえる食堂だった。ケナンは店主や常連とトルコ語でべらべら喋り、私を周りに紹介していた。チャイを飲みつつ、ケナンは相変わらず日本人の女の子の話を続けていた。こりゃあただの友達ではあるまいと察した私は、「で、その子は元彼女なの?」と聞いた。「うん」とケナンは言った。「サリーも知ってるよ」。
ケナンがリビングのソファにどっかり座って思い出話をしている間、サリーは延々、むっつりとキッチンの掃除をしていた。そもそも不機嫌そうな人なので、彼女の情緒はわかりかねたが、もしかして苛々しているのではないかと感じてはいた。その読みは正しかったのだろう。だから彼は私を散歩に連れ出したのだ。しかし、そこまでして思い出話をしたいものなのだろうか。聞けばその彼女と私は年齢もほぼ一緒だそうだ。日本人の私を前にして、楽しかったことばかりが湧き上がってきたのだろうか。ケナンは彼女との出来事のハイライトをすべて私に話した。彼は極めてマイペースなようで、思い出を思う存分披露してすっきりしたのか、「じゃ、俺は職場に戻るから」と、話し終えるや現地解散した。サリーとケナンには、性格に重なり合う点がなさそうだ。私にはそのちぐはぐな組み合わせが面白かった。