2021.1.1
12年の年月を経て味わう親友のドリップコーヒー
弓太は東京を去り、山梨に暮らしていた。渓谷歩きがしたいというと、すぐに計画を立ててくれた。買ったはいいがあまり使用していないトレッキングシューズや、山用の服を小さなスーツケースに詰め込んで、私は特急かいじに乗り込んだ。甲府に着くと、改札口に弓太が立っていた。なにひとつ変わっていなかった。ハゲたとは聞いたが、帽子をかぶっているので毛髪の残量がわからない。私たちの挨拶の仕方も、言葉や沈黙のテンポも、表情も、笑うときの状況も、驚くほど変わっていなかった。
その日はお酒を飲みに行った。美味しい山梨の名産品をいろいろ食べたり飲んだりしたはずなのだが、泥酔したらしく思い出せない。12年ぶりの再会だったのに、話した内容も覚えていない。なんなら店も覚えていない。しかし考えてみればこのような状態はこのときに限ったことではなく、弓太とはいつも大笑いし、わりといいアイディアも沸いたりするのに、毎回全部すっかり忘れてしまう。二人揃って忘れるのでどうにもならない。
どうせまた忘れるんだろうな、もったいないなと思い、「この話、覚えておきたいなあ」と私が言うと、「そうだね。でもメモするのがめんどうくさい」と弓太は言う。「頑張っていまメモをとったとして、そのメモをなくすしね」と私も言う。「なくさないように金庫に預けてもその金庫を忘れるしなあ」と弓太は同意し、続ける。「たとえ金庫を思い出したとしても、そのメモを見たときには書いてある内容がわからないだろうな」。そうなったら、と想像し私は「そのときにメモから着想して、同じことをあたかも新発見かのように話して盛り上がるだろうね」と答える。すると弓太は思案して、「というかこの話をわれわれは20年前にすでにしていたのかもしれない」と言った。このやりとりは、幸いメモに残していた数少ない彼との会話だが、私が覚えておきたかったという肝心の「この話」とは一体何だったのかについては、さっぱり手がかりがない。
私たちはおそらく忘却力に関して互角に優れており、小さいことにはこだわらず、大きいことさえも忘れてケロっとしているところがあるのだろう。だから12年を一緒に過ごそうと、そうでなかろうと、どうせおおかた忘れていたのかもしれない。