2021.3.13
「なぜ露出する服で…?」ー無関心だった夫が、夜遊び帰りの妻に感じた危機感(第4話 夫:康介)
妻が見知らぬ女に見えた夜
「……なんだよ、いないのか」
自宅に戻った康介は、誰もいないリビングを見て拍子抜けした。
せっかく早く帰ってきたというのに麻美は不在だった。仕事をしているわけじゃないのだから、遊んでいるのだ。30歳をとうに過ぎた人妻が。
――まったく、好き勝手してるよなぁ。
必要以上に干渉しない、自由な夫婦。
そういう関係を望んだのは自分自身だし、妻の夜遊びも今日に始まったことじゃない。それに最近の麻美は不満げな気配を醸して息が詰まるから、いつもはいない方が気楽だくらいに思っていた。
……しかし今夜、独立の決意を伝えるために帰宅したこのタイミングで家にいないというのは腹立たしい。自分勝手は百も承知だが、苛立ちが募った。
「ハァ……食事もないのか」
綺麗さっぱり片付けられたキッチンを眺め、おおげさにため息を漏らす。
諦めた康介は部屋着に着替え、冷蔵庫からビールを取り出した。イライラを流し込むように、一口でほとんどを飲み切る。
意気消沈させられ、高揚していた気分もすっかり萎えてしまった。
「ああ、疲れた」と声に出してソファに寝転ぶと、ウーバーイーツを眺める。しかしオーダーを終えるより早く、気づけば睡魔に襲われていた。
カチャ。
静寂の中、微かな物音に気がつき目を開けた。
深いため息とともに体を起こすと、ちょうどリビングに戻った麻美と視線があった。
「飲んでたの」
「うん」
いつもの二人ならば、会話はここで終わりだ。
不妊治療の提案を断った夜から、二人はもう何年も深い話をしていない。無駄に衝突せず当たり障りなく過ごす。それが康介と麻美の間で暗黙の了解になっている。
しかしこの夜に限っては、どうしても尋ねずにいられなかった。その理由が康介の方にあったのか麻美にあったのか……どちらか判断はつかないが、頬をピンクに蒸気させ、気怠くコートを脱いだ妻に、気づけば声をかけていた。
「誰といたんだよ?」
麻美は無言のまま、アーモンド型の目を見開いてこちらを見た。
ああ、面倒くさい。声には出さないものの、そう顔に書いてあった。質問に答える気配もない。
麻美はしばし夫の様子を伺っていたが、そのうち「呆れた」と言わんばかりに黙って背を向けてしまった。その時、彼女の着ているワンピースの背中が無駄に大きく開いているのが見えた。
その艶かしさに、突発的な怒りが湧く。
「なんだよ、その服は。それに、夫が妻に誰といたのか聞いちゃいけないのか?」
自分でも驚くほど大きな声が出て、さすがの麻美も康介を振り返った。彼女は戸惑いとも嘲笑とも取れる表情を浮かべ、静かに夫を見据えている。
「なんなのよ、突然。友達といたに決まってるでしょ。梨花よ、梨花。これでいい?」
冷たい声で捨て台詞のように言い放つと、麻美は脱いだコートとバッグを掴み、逃げるようにリビングを去った。
「なんだ、その言い方」
露出した背中に怒鳴るも麻美は振り返らない。だが妻を追いかける気力はなく、康介は茫然とひとり立ち尽くした。
康介の知る麻美は、こんな風に感情的な言い合いをする女じゃなかった。物わかりのいい、清楚で聡明な妻。それが麻美だ。
それなのに……この夜の彼女は、康介の目にまるで未知の他人のように見えた。
(文/安本由佳)
※次回(妻:麻美side)は3月27日(土)公開予定です。