2021.2.27
「結婚しても終わらないノルマ」…不妊に苦しむセレブ妻の胸中、苦渋の末の逃げ道とは? (第3話 妻:麻美)
“危険な男”との再会
「お疲れ〜!」
シャンパングラスが重なる小気味よい音が円卓の上に響く。
「麻美、相変わらずよく飲むねー!」
最近知り合ったばかりの男友達の一人が、満足そうに麻美の飲みっぷりを眺めて言った。
六本木の中国飯店の二階の個室。部屋には数人の男女が集まっている。こうしたいわゆる“食事会”はコロナ禍で昔よりぐんと減ったが、麻美の大事なストレス解消の場の一つだ。
20代の頃から夜遊びは好きな方だったが、結婚後もこんな風に夜の街に居座り続けるとは思っていなかった。
というよりも、32歳の既婚女にそんな需要はないと決めつけていたのだ。けれど昔と同様に遊びに誘ってくれる仲間は意外にも多くいた。特に既婚となった男友達はおそらく麻美と同じような鬱憤を抱えていて、外に出たくて仕方がないのだ。
そして麻美自身も、実は独身時代より純粋にこの場を楽しんでいる。
男たちをいちいち結婚相手として品定めしたり、自分も妻候補となれるよう男たちに気遣ったり媚びる必要もないからだ。中には独身の男女もいたが、彼らのやりとりを既婚の立場で高みの見物として観察するのも面白かった。
好き勝手に飲んで食べて会話を楽しみ、男たちに少しばかりチヤホヤされる。別に払えないこともないが、会計は当然のように男たちが知らぬ間に支払っている。
そんな夜の一興は、買い物やエステ、SNSの評価よりもずっと麻美の心を満たすのだ。
もちろん康介に余計な報告はしていないが、特に悪いことをしているわけでもない。それに最近は夫といくら美味しいものを食べても、こんな楽しさは1ミリも感じない。
「それにしても、麻美の生活って本当うらやましい。旦那はお金持ちで、麻美は仕事もしてなくて、毎日遊んでるだけなんでしょ?」
古い友人である梨花が意地悪そうに麻美に問う。彼女は独身だが、モデルのような美しい顔と外資系メーカーの広報という華々しい職を持っていて、歯に衣着せぬ会話ができる貴重な友人だ。
「うん、そう。暇だから、ずーっと遊んでる」
麻美がわざとらしくニッコリ答えると、その場は大袈裟な笑いに包まれた。
ここ最近の子持ち女たちへの尖った気持ちも、酔いと笑い声の中でどうでもよくなっていく。
「そうだ。もうすぐ矢野くんが来るよ。矢野慎也。麻美、覚えてる?」
「え?」
梨花の言葉に、酔いが一気に醒める。
同時に、個室の入り口に気配を感じた。粘りつくような視線が強制的に麻美の記憶を掘り起こす。
――なんで今さら、こんなところで。
長いこと忘れていた、胃の底がチリチリと焦げ付くような感情が瞬時に蘇った。
「麻美! 久しぶりだなぁ……」
矢野慎也は、昔、麻美が振った男だ。いや正確には、理性を使って手に入れるのをやめた男。
「会いたかったよ」
目が合ってしまった時には、二人はすでに共犯意識のようなもので繋がっていたと思う。
そして麻美は、本能的に感じた。
きっと近いうち、自分はこの男と寝てしまうだろう、と。
(文/山本理沙)
※次回(夫:康介side)は3月13日(土)公開予定です。