2021.2.13
「デメリットしかない」ー妻の不妊治療提案をはね退けた夫の言い分(第2話 夫:康介)
愛も尊敬もない……妻の態度が不満な夫
「今日も遅くなるから」
午前8時過ぎ。櫻井康介は、妻に軽く微笑んで家を出た。
ロビー階でエレベーターを降り、ホテル並に豪華な造りのエントランスを歩く。一際目立つ巨大な装花が赤いバラに変わっていた。豪華で、とてもいい。
最近は気張らないカジュアルがトレンドらしいが、康介はその良さが理解できない。見るからに贅沢、王道の美。そういうほうがわかりやすいし、自尊心が満たされるのに。
「おはようございます」
ふいに、背後から声をかけてきたのは麻美の“妻友”だった。
先月、麻美とともに参加したマンション内の交流パーティーに来ていた女性だ。もう随分お腹が大きいのに、体にピタリと沿うドレスを着ていたのを覚えている。確か妻は「亜希さん」と呼んでいた。
「おはようございます」
康介は姿勢を正し、よく通る声で挨拶を返した。口角をあげ爽やかに笑うことも忘れない。
ここは戸数の多いタワーマンションだが、コミュニティは想像以上に狭い。噂の類は大げさでなく一瞬で広がる。妻の友人から高評価を得ておくことは、快適な生活のためにも重要なことだ。
ツンと冷えた空気に、首をすくめて歩きながら康介は思う。
エリート弁護士の肩書き、都心の豪華なマンション、美しくソツのない妻。上には上がいるとはいえ、自分は都会を生きる36歳の男として悪くないステージにいるはずだ。妻に裕福な暮らしをさせてやっているという自負もあった。
だからこそ、康介は納得できないでいる。近頃の麻美の態度のことだ。
本人はうまく取り繕っているつもりのようだし、康介もあえて指摘したりはしない。しかし近頃の妻からは夫に対する愛はもとより、尊敬すらも感じられない。
さっきだってそうだ。家を出る際、康介が視線を外す0.1秒前に彼女はあっさり笑顔を消していた。もはや笑うことすら惜しい、とでもいうように。