よみタイ

システムエンジニアを退職して新宿ゴールデン街の〈プチ文壇バー〉で働き始めたら人生が激変した

「麻布競馬場はここ最近のゴールデン街のひとつの論点だ」

2022/9/5に発売された『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』が話題沸騰中の匿名小説家の麻布競馬場さんも、『月に吠える』にたまに飲みに来てくれる。麻布競馬場さんの本が出版されてから売れてゆくに従って、ゴールデン街でも麻布競馬場さんの話をする人が増えた。店番の師である中澤雄介くんは「麻布競馬場はここ最近のゴールデン街のひとつの論点だ」とおっしゃっていた。

そんな麻布競馬場さんが『月に吠える』でひとつの事件を起こしたことがあった。麻布競馬場さんが佐々木チワワさんと一緒にお酒を飲んでいるとき、カウンターで飲んでいた現役の慶応大学の学生の男の子が、自分のすぐ近くで麻布競馬場さんが飲んでいるとは知らずに麻布競馬場disをしてしまい、それがTwitterで実況中継されていたのだ。

麻布競馬場 @63cities
横の席で「麻布競馬場は慶應で上手くやれなかったコンプレックスを文学に転換しているだけであって僕はそれを文学とは認めない‼️」という話を聞いています
午後11:38 · 2022年9月21日

麻布競馬場 @63cities
きのう佐々木とゴールデン街の某文壇バーでお酒を飲みながら月に吠えてたらシュッとした慶應生が「第一志望は外銀でェ〜」と横の女の子に絡んでてゴールデン街の多様性というか消費される記号性を感じたし確かに彼がそこで語るべきは「麻布競馬場の本のディス」なので完全に解釈一致だった
午前11:10 · 2022年9月22日

麻布競馬場disをしてしまった慶応大学の男の子は、ゴールデン街の『スエズ』という店で週1で店番をしているタイトくんという子で、よく『月に吠える』にも飲みにきてくれている。朝方、泥酔してゾンビみたいな青白い顔をしながら、「僕は麻布競馬場がいると知らず悪口を言ってTwitterに晒されたんすよ。でもね、僕たちみたいな人間は、他人におもちゃにされて、消費されて、そうやって生きていってなんぼなんすよ!」とか言いながらウーロンハイを飲んでいる。タイトくんは店に来るたびにこの話を喋ってる。何か月経っても”麻布競馬場にTwitterで晒された男”として生きている。こんな風に、誰かに消費されることを織り込み済みで酒を飲むというのも、ゴールデン街で酒を飲む人特有の感覚だ。

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ちなみにタイト君が「第一志望は外銀でェ~」と絡んでいた相手の女の子というのが、本連載の1話目に出てきたふえこさんであった。

とある台風の日。雨に打たれてずぶ濡れになったふえこさんがファミリーマートでお湯を入れたどん兵衛を片手に店にやってきて「え、やばい、どん兵衛めっちゃおいしいんだけど。ねぇ、知ってる? どん兵衛めっちゃおいしいよ」と話しかけてきたので、「麻布競馬場のTwitterにふえこさん登場してましたよ」と話をしたら、「どいつもこいつもツイッターツイッターうるせぇんだよ! ここはリアルなんだからツイッターの話なんかしないでリアルの話をしろよ! 私よりおもしれぇ男なんていねぇんだから、誰も私をネタにする権利なんかねぇんだよ!」と叫び始めた。

ふえこさんのことをネタにさせて頂いた僕は頭が上がらない気持ちになった。お世話になったお礼に、『月に吠える』ではふえこさんのボトルは僕が入れるようにしている。今6本目くらい。「ボトル100本入れたら抱いてあげるよ」ってこのまえ言ってくれた。

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店番をしていて嬉しい再会もあった。『ルポ西成』『ルポ路上生活』など、実際に取材場所に住み込みをしてルポルタージュを書く過激な作家の國友公司さんが店に来てくれた。國友公司さんとは、4年前に1度だけ池袋北口の平和通りにある中華料理屋でご飯を食べてそれっきりの関係だったのだけど、僕がゴールデン街で働いていることをTwitterで見て遊びに来てくれた。わざわざ飲む約束をして会うほどではなかったのかもしれないけど、近くで働いているなら久しぶりに顔を出してみようみたいな距離感の人との再会が訪れるのは嬉しい。久しぶりに話をしたら、家が徒歩3分くらいのご近所さんであることが判明した。國友公司さんは編集者もしているらしく、縁があったら今度なにか仕事をしましょう、という話になった。定職のない人生に一筋の光である。これが俗にいう「弱い絆の強さ」というやつかもしれない、と思った。

自分のことをよく知っている人よりも、あまり身近でない知人の方が自分の人生にとって有益な情報を多くもたらしてくれるということを、スタンフォード大学の社会学者マーク・グラノヴェターが「弱い絆の強さ」と呼んだ。

ゴールデン街の店での店番は気軽に人が会いに来てくれるから「あまり身近でない知人」みたいな関係が増えてゆくし、そういう関係だからこそ得られる有益さというものがあるのかもしれない。30歳定職なしの先行き不安な人生ですが、どうにかなりそうな気配も感じられてきました。2023年も無事に過ごせると嬉しいです。

 *

というわけで、ゴールデン街G2通りの『月に吠える』で金曜日の24時から朝まで店番をしているので、よかったらお酒を飲みにきてください。せっかく遊びに来てくれたのに期待外れだったり、居心地の悪い思いをさせてしまった時はごめんなさい。そういう方のために、どうか先にこれだけは言わせてください。

行ってらっしゃ~い!

(第5回・了)

 次回連載第6回は2/8(水)公開予定です。

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山下素童

1992年生まれ。現在は無職。著書に『昼休み、またピンクサロンに走り出していた』『彼女が僕としたセックスは動画の中と完全に同じだった』。

Twitter@sirotodotei

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