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篠田節子「介護のうしろから『がん』が来た!」
認知症の母を介護しながら二十年。ようやく母が施設へ入所し、一息つけると思いきや――今度は自分が乳がんに!?
介護と執筆の合間に、治療法リサーチに病院選び……落ちこんでる暇なんてない!
直木賞作家・篠田節子が持ち前の観察眼と取材魂で綴る、闘病ドキュメント。

前回まではこちら→https://yomitai.jp/series/gangakita/

退院後の初仕事は、母に仕事をさせること?

介護のうしろから「がん」が来た! 第18回

 仕事に院内探索にと、入院生活は慌ただしく過ぎ、手術四日目には胸のドレーンを抜いてもらい、翌日に退院となった。
 しばらくの間、胸を揺らすような運動をしないように、痛みがひどい場合や発熱した場合は、胸帯で押さえてすぐ来るようにと主治医の先生に告げられ、豪雨の中、病院を後にする。
 JRとバスを乗り継ぎ二時間かけて帰宅。
 途中、八王子の駅ビルで昼食を取る。体に良さそうなMUJIカフェのご飯だが、病院食に慣れた舌にはどれも味が濃く感じられてびっくりした。久々の町の喧噪けんそうが何よりのごちそうだ。
 
 戻ってきてさっそく老健にいる母の衣類の準備に取りかかる。
 夫が洗ってくれたものだが、さすがというべきか、ポケットの中に入れてあった紙を出さずに洗濯機に突っ込んだらしく、ズボンやカーディガン、靴下に至るまで、溶けて乾いた紙がへばりついて真っ白になっている。数十年も前のオイルショック時のトイレットペーパーパニックの危機感がよみがえったのか、もう十年以上、母はトイレを使うたびに、ホルダーの紙を山と巻き取ってはポケットや枕元に溜めておく趣味があるのだ。
 衣類についた紙をガムテープで取ろうかと思ったがやめて、数日後、面会と洗濯物交換の折にそのまま施設に持っていく。  

 二週間ぶりくらいに会った母は相変わらず元気だ。足腰、口も達者。
「あんたどうしたの、ちっとも顔を見せないで」と開口一番に言われるのは挨拶がわりで、二日おきに通っているときも同じだ。面会の記憶は母の中に残らない。
「土曜日に来たばっかりだよ」
 平然と嘘をつくのも、私のいつもの対応だ。
 がんのこと、手術のことは話さない。記憶はすぐに消えるが病気については鋭く反応して、悲観的な気分が後々まで残ってしまうからだ。
 がんは食べ物と生活態度が原因、婦人科系の病気は性的に放縦だったから。そう固く信じている大正生まれの母の前で、うっかり病気の話はできない。あんなに苦しい思いをして産んでやったのに病気になんかなって、と嘆かれるのも面倒だ。子宮筋腫で手術したときは、もう私は孫の顔を見られないのかと泣かれた。ったって、あたし、もうすぐ五十ですぜ、というのは、自分の年齢が永久に七十で止まっている母には通用しない。
 
 面会コーナーで話し相手になりながら、携えてきた衣類をおもむろに出して、真っ白にへばりついた紙をガムテープではがし取り始める。
「あんた、何やってるの?」
「ポケットの紙を出さずに洗濯機で洗っちゃったんだよ」
「まったく、あんたは昔から不注意なんだから。洗濯する前にはちゃんと★○×★……」
「うるせえわ」
「あーあー、よこしなさい。ちゃんと取れてないじゃないの」
 私の手元から衣類とガムテープを取り上げて自分でぺたぺたと紙を取り始める母。
 すべて計画通りだ。子供に説教する、手仕事をする。それでプライドが保て、やるべきことができる。

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篠田節子

しのだ・せつこ●1955年東京都生まれ。作家。90年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。
97年『ゴサインタン』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、11年『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞、15年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞を受賞。『聖域』『夏の災厄』『廃院のミカエル』『長女たち』など著書多数。最新刊は『鏡の背面』。
撮影:露木聡子

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