2024.11.21
「非モテ」概念で遊ぶうちに取り返しがつかなくなる男子校出身者の危険性【学歴狂の詩 最終回】
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遠藤にはどうしても彼女ができなかった
遠藤がそう考えた末にたどりついたのは難関資格取得、「公認会計士」への道であった。京大を出て会計士という黄金の資格を取り、大きな監査法人で高給取りとなって、学歴とステータスと金を取り揃えてから勝負しよう――それが遠藤のプランであった。今振り返れば、これは相手が自分の内面を見てくれないという諦め、つまり人間全般への信頼の喪失からくる悲しいプランだったように思うが、偽悪的マウント柔術がすっかり板についてしまっていた彼の内面を私が正確に見抜くことはできなかったし、正直見抜こうともしていなかった。
私がぐうたらしていた二回生ぐらいの時に、遠藤はすでに会計士の予備校に通って忙しくし始めていて、京大から自転車で予備校に向かう遠藤の後ろ姿を何度も見せられることになった。しかし遠藤は予備校で友達ができないらしく、一度私に「予備校で昼飯を一緒に食べてほしい」と声をかけてきたことがある。私は暇だったのでそれに付き合った。その予備校の中のご飯スペースみたいなところで遠藤と一緒にサンドイッチを食べていると、遠藤はしかめっ面をして「なんかここ、普通に同志社とか立命の奴が多いねんな」と言った。
「難しい資格やからそりゃ取れれば立派なんやけど、なんか関関同立から一発逆転したるぞみたいな奴が多い気がして嫌やねん……会計士の資格って、ほんまにみんなからすごいって思ってもらえるんやろか?」
私は「そんなこと考えてたら友達できひん上に落ちるぞ」と普通に注意したが、遠藤は何かをじっと考え込んでいる風であった。その後、結果的に遠藤は公認会計士試験に合格したので、今思えば私などよりはるかに将来設計がきちんとしていたということになる。社会人初期の給与は、私と遠藤では比べ物にならなかった。遠藤はその給与の高さと、会計士というステータスによってふたたびマウント柔術の使い手としての息を吹き返した。
社会人になって二、三年目の頃、私ともう一人の某R高の同級生・西(神戸大卒)と遠藤の三人で、昼ご飯を食べに行こうという話になったことがある。私と西は、ふつうに京都駅近くの「やよい軒」に入ろうとしたが、その時遠藤は「ハァ!? なんで社会人なって久々の再会でやよい軒やねん!」と激怒した。私も西も金がなかったので「別にやよい軒でええやんけ」と言ったのだが、遠藤が「ありえへんやろ!」と譲らなかったので、どこだったか忘れたがまあまあ高い寿司屋に行くはめになった。私も西も似たような年収だったのですかんぴんだったが、私たちを回らない寿司屋に連行した当の遠藤は貧乏人の苦悩に気づくこともなく、ニコニコ顔で寿司をほおばり、当然奢るそぶりを見せることもなかった。
会計士というのは全国を飛び回ることが多いようで、遠藤はそれからもことあるごとに「今日は〇〇に出張!大忙し」というような連絡を某R高グループラインで連発してきた。ほとんど誰も反応することがなかったのだが、それでも遠藤は、まるで日記でもつけるかのようにグループラインに出張先の景色や食べた地方グルメの画像をアップしていた。
こうして学歴とステータスと金を兼ね揃え完全体となった遠藤だったが、ただ一点問題が残っていた。彼女がどうしてもできなかったのである。私は遠藤から最初に入った一流企業を辞めたことを馬鹿にされまくっていたが、遠藤のマウント柔術がもともと効かない体質なのでずっと仲良くしており、一度城崎に二人で旅行しにいったことがある。すでにマイカー(ヴィッツ)を所有していた遠藤の運転で現地に向かい、城崎マリンワールドに行ったり温泉に入ったりおいしいご飯を食べたりとマジで最高の旅行だったのだが、夜眠る時、暗い部屋の中で遠藤が「あのさあ、誰か女の子紹介してくれん?」と絞り出すような声で言った。私は相変わらず女友達がほとんどいなかったので断ったが、あまりにしつこく「頼むわ!」と言ってくるので、当時の職場の女の子に声をかけて遠藤に紹介した。その紹介はあえなく遠藤の惨敗に終わったようで、一応女の子側に話を聞くと、「いい人やってんけど、やっぱ会計士の人って賢すぎて私では釣り合わんわ」と大人の理由を述べていた。
遠藤はその後数年がかりで、自分の精神を何とか対社会用に鍛え直していった。その間に一度、私は遠藤から「婚活パーティ」に参加したいと誘われたことがある。当時の私はお金もなく結婚に興味もなかったので多分三回ぐらい断ったが、どうしても一緒に来てほしいということで、なんと遠藤が参加費用を全額負担してくれると言い出し、それならまあとOKして二人でパーティに参加した。二十対二十ぐらいの規模で、一人一分ずつ自己紹介をし合ってどんどん回っていき、その後にフリータイムで気に入った異性と話す、という感じの流れだったが、私はとりあえずその場をうまくやり過ごすことに集中するとともに、この経験を自分の小説に使うべく周囲を観察していた。そして当の遠藤は、パーティが終わった後にややキレ気味になっていた。理由を聞くと、なんと「公認会計士のことを知らない奴が多すぎる」というのである。年収が高いことに食いついてくる女性は多少いたが、「公認会計士スゴーイ!」と言ってくれる女性が皆無だったようで、これは遠藤に大きな衝撃を与えていた。
「世間的にはそんなもんなんちゃう? インパクトで言ったら医者か弁護士やろ」
私がそう言うと、遠藤は「いや、会計士知らんってどんだけアホやねん! 次はもっと上の、エグゼクティブ婚活パーティみたいなとこに行くわ。またついてきてくれ」と言ったが、私はエグゼクティブではなかったので丁重にお断りした。その後遠藤がエグゼクティブ婚活パーティに参加したのかどうかは定かではないが、いつの間にか遠藤のことを理解してくれる本当に素敵な女性と結婚し、今ではかつての遠藤からは想像もできないような幸せな家庭を築いている。そして長い間もっぱら会計士マウントに使われていたライングループで、今は某R高の進学実績報告botとして縦横無尽の活躍を見せている。
この実績報告は、彼本人も本気で言っているのかお笑いとしてやっているのかいまだによくわからない。みんなもうそれぞれ仕事に家庭に忙しくなっており、なかなかライングループも動かないので、彼が母校の実績報告を放り込むことによって他のクラスメイトたちのコミュニケーションも発生し、飲み会がセッティングされる流れになることもある。そういう意味では、遠藤は私たちの関係を繋ぎ続ける中心的存在だと言うこともできる。
さて、今回の主題は男子進学校の弊害だったのだが、遠藤の紹介にやや夢中になりすぎたかもしれない。しかし遠藤や私のエピソードを通して、その弊害は多少理解していただけたのではないかと思う。私が言いたかったのは、遠藤や私のように、女性に対して、また女性と仲良くしている男性に対して屈折した思いを抱き、それを仲間内で冗談のようにして話し続けていると、その価値観がいつの間にか内面化されていき、やがて難治性の病と化すということである。「非モテ」の概念で遊ぶのもいいが、ある程度のところで引き返さなければ、本当に取り返しのつかないことになりかねない(ちなみに遠藤はきっちりとその沼の危険性を認識し、恥をかきながらも女性を紹介してもらったりパーティに参加したりする方向にシフトしたのだから、ある意味非モテ界では立派な人間なのである)。異性関係に限らずもう少し踏み込むと、男子校における人間関係の形成は「楽」すぎるので、そこにいる間はいいのだが、外部に解き放たれた時に違和感を抱くことも多いだろう。もしかすると、男子校時代の仲間は面白いのに他の奴らはつまらない、と感じることもあるかもしれない。しかしそれは完全な錯覚であるということを、みなさんにははっきり意識しておいてもらいたい。それはあなたの「面白センサー」が、似た人間の多く集まる男子進学校で三年やら六年やら過ごす間にグニャグニャにひん曲がっているというだけのことにすぎない。あなたがそのセンサーを矯正せずに突っ走ることで成果を残し続けられる才気煥発な人間であるならそれもいいが、多くの場合はそうではない。周囲の多様性にさらされながらセンサーを調整し、より豊かな人間関係を築いていくことによってのみ、あなたの男子校病はゆっくりと寛解に向かっていくのだ。
私はこうした危険な病の伴いがちな男子進学校の存在が、本当に人間形成も含めた教育に有益なものなのか、かなり懐疑的な立場である。そしてさらに言えば、すべてを捨てなければ東大・京大に合格できないレベルの人間が、なりふり構わず東大・京大に合格した先で、本当に幸福な未来を手にすることができるのかどうかについても懐疑的である。その過程で捨てたものをもう一度拾い集める作業は困難をきわめる。何にしても捨てるのは簡単だが、それを再び得ようとすれば長い時間がかかるものなのだ。実際、私はまだ間違いなく治療の途中である。何とかしたいとは思っているが、他の「まともな」人間との差を感じない日はない。それを男子校生活や受験のせいにするのは短絡的すぎるという指摘もあるだろうが、やはり十代の人格形成において、それらが自分に及ぼした影響は大きいというのが私の正直な実感である。中高生のあなたが、あるいは子供を育てる親であるあなたが、どのような人生を理想とするのか、ぜひ私やこの連載で紹介した「サンプル」の数々を見て今一度じっくり考えてみてもらいたい。
さて、十八回に渡ってお送りしてきたこの学歴狂の詩であるが、すでに予告されていた通り、今回が最終回である。まだ登場していない逸材もいるにはいるが、ヤバすぎて逆に書けなかったり、ヤバさの方向がニッチすぎたりするので、これで私の主だった戦友たちのうち、メディアの目に耐えるものはあらかた紹介し終えたということになろう。
集英社「小説すばる」からの付き合いである編集I氏の発案で始まったこのエッセイ企画だが、毎回アップされるたび非常に多くの方に読んでいただけたようで、みなさんには心から感謝している。みなさんの応援がなければ、このエッセイはこれほど長く続けられなかっただろう。私に今後連載等の予定はないが、細々とでも文筆活動は続けていきたいと考えているので、またどこかでお会いできれば幸いである。そして、この「学歴エッセイ」という謎ジャンルを継ぐ酔狂な方が現れることを心待ちにしている。私はこれまで、自分の好きな小説の話や競馬の話や格闘技の話や生活の話を、友人らと楽しくしながら暮らしてきた。しかし四十年近く生きてきて確信するのだが、私は結局、学歴の話が一番好きなのである。
(完)
佐川先生の次回作にご期待ください!!!
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