2023.8.17
東大文一原理主義者・内山と「スーパー学歴タイム」【学歴狂の詩 第3回】
人はなぜ学歴に狂うのか──受験の深淵を覗き込む衝撃の実話です。
前回は、天才・濱慎平がつぶやいた名言を取り上げました。
今回登場する学歴狂は、恐るべき東大文一原理主義者・内山です。
また、各話のイラストは、「別冊マーガレット」で男子校コメディ『かしこい男は恋しかしない』連載中の凹沢みなみ先生によるものです!
お二人のコラボレーションもお楽しみください。
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東大・京大・国公立医学部以外は完全に無
私の通っていた某R高校の特進コースでは多くの者が京都大学を目指していたが、当時は学校として東大合格者も増やしていこうと模索している最中だった。その時はまだ奈良の西大和学園の躍進も(京大医学部保健学科を除けば)なく、東大寺学園は母数の差で抑え込めそうで、大阪の北野高校もそこまでデカイ脅威ではなかったため、京大合格者数で他校に負けるということはあまり想定されていなかった。京大合格者数ナンバーワンを保持しつつ東大の数も増やしていき国公立医学部もバンバン受かって最強になろう!というのが、おそらく当時の我が校の目指すところであった。
裏を返せば東大・京大・国公立医学部の三種以外は高校の進学実績として完全に無ということであり、それらを目指さない者はその時点で「己に負けている」のだった。私は格闘技の試合を結構観るのだが、五月に行われたRIZINで斎藤裕という選手と平本蓮という選手が戦った。有名な選手なので知っている方も多いかもしれないが、判定負けした平本選手はその後「自分に負けた」と語っていた。平本選手はK-1出身で打撃が得意なのだが、斎藤選手のテイクダウン(寝技に持ち込むために寝かせること)を切ることに何度も成功したものの、それを警戒するあまり有効な打撃を繋げることができなかったようだった。この場合、リスクを冒して打撃にいくことは某R高でいえば「東大・京大・国公立医学部」を受けることに相当する。そしてテイクダウンを恐れて負けない戦い、K.O.されない戦いをすることは、某R高でいえば「阪大・神大受験」に相当する。平本蓮は、いわば阪大を受けたのである(注・筆者の主観です)。
私の勝手な思い込みという面もあっただろうが、とにかく私は高校の雰囲気をそういう風に感じていたし、「できない己を恥じよ!」とつねに自らを叱咤しながら机に向かっていた。人間に可能と思われる努力量の限界を超え、シンエヴァで例えるとヒトを捨てた碇ゲンドウみたいになろうと机に向かっていたので、オカンに本気で心配されたのは拙著『シン・サークルクラッシャー麻紀』にも書いた通りである。
だが、東大・京大・国公立医学部を目指す猛者だらけの環境の中では、私の勉強に対する狂気というのは珍しいというほどのものではなかった。私が見た中でもっとも強烈な狂気を発していたのは、内山という隣のクラスの男である。
内山はとにかく日本という国を心から愛していて、日本を良くすることに全人生を捧げたいと考えていた。そのためには官僚になり、さらにはその頂点である事務次官になり、自らの影響力を最大化することが必須だと本気で思っていた。今思えばSF作家・樋口恭介氏が出演していたテレ東の番組「SIX HACK」よろしく、「偉くなければ正しいことはできない」を地で行っていたのである。彼にとってそれ以外の人生には何の意味もなかった。当時の彼には、事務次官になれるかなれないかはそのまま生き死にの問題だったのだ。あまりに文一文一と言うので、別に東大文一じゃなくても事務次官になることはできるのではないか、と聞いてみたこともあるが、彼が調べたところ、当時知ることのできた各省庁の事務次官の出身はほとんど全員が東大法学部卒で、ちょっとだけ東大経済学部卒がいて、法務省のみ京大法学部卒だったらしい。
彼の学歴へのこだわりは凄まじかった。特進コースの生徒が某R高の他にどの高校に合格していたかを聞いて回り、エクセルの表にまとめたりもしていた(内山自身は大阪星光蹴りだった)。そしてその表には三年後、もしくは四、五年後、最終的に進学した大学が付け加えられた。特進コースには東大寺学園蹴りが私以外にもいて、総数は覚えていないが、後年聞かされた内山の分析結果によれば、「東大寺学園に合格していた者は、現役で阪大以下に逃げた敗残兵を除けば、全員が一浪以内に東大・京大・国公立医学部のいずれかに合格した」らしかった。一体どういう方法でリサーチしたのかはわからないが、内山は不合格間違いなしの沈鬱な表情をした人間にも平気で結果を聞ける男だった。
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