2022.4.23
料理嫌いの女の畑に、次々と野菜が実を結ぶ
たった一週間で、畑は華麗なる変身を遂げる
兄が仕事で来鹿することになり、霧島の家にもやって来ました。
子どもの頃、周りの子どもたちが戦隊ものに夢中だったとき、NHKの「趣味の園芸」に没頭していた兄にとって、うちの庭と畑はパラダイスだったようです。
ブロッコリーはそろそろ収穫、玉ねぎはもう少し時間がかかると、ひとつひとつ楽しそうに解説していきます。気づくと、小まめに雑草を抜いていたはずのパクチーが、いつの間にか雑草に埋もれていました。まだ肌寒いけれど、目で春の足音を感じます。
立ち寄る程度の時間しかなかったものの、兄は我慢できなかったらしく、鎌を貸してくれと言って、枯れた紫陽花の手入れを黙々と始めました。
ひと通り終わると、畑の入り口に立って遠くまで広がる景色を眺めていました。私もぼーっとしたいときはそこに立ち、先日インタビューで訪れた弦さんも、同じ場所に立って同じことをしていました。そうしたくなる眺望が、そこにあります。
少しずつ春めいてきたかな? という頃、畑にアブラナ科と思われる大きな葉をもつ植物が点々と育ち始めました。大根の種が飛んだのかと思って引っこ抜いてみると、根っこはひ弱で、大根ではないようです。
植えたわけではないので、気になったら抜いていましたが、気が付くとその数はどんどん増えていきました。雑草も育ち始め、土が少しずつ緑に覆われていきます。
そろそろ雑草の処理に追われる季節が始まるんだなあ。以前、不動産屋の久保さんが「この広さなら、刈り終わった頃には、もう次の雑草が生えてるよ」と笑いながら脅し文句を言っていましたが、その作業がどのくらい大変なのか想像できませんでした。
そんな時に仕事で東京に行くことになり、鹿児島の家を一週間ほど空けました。仕事に友人との交流にと充実した日々を送り、鹿児島に戻って空港を一歩出ると、柔らかな空気が満ちています。春だ。
先日までの鋭利な冷気は消え失せて、そこに立っているだけで微睡んでしまうような、肌と空気の境界が曖昧になるような、とろける心地よさに包まれる季節がやってきた。数日後、また冬に逆戻りするとは露知らず、一番好きな季節の到来を喜びました。
空港から自宅へと車を走らせている間も、たった一週間しか経っていないのに、窓を流れる景色が違って見えます。陽射しが少し強くなって、植物の生命力がぐんと増した感じ。
東京でも、目の前の公園で四季を感じることはできましたが、あの家じゃなかったら、季節の移り変わりにもっと鈍感だったはず。でも、霧島では、季節が手を振りながらこっちに向かって歩いてくるようで、否が応でも敏感になります。
国道を曲がって、わが家へと続く道に入ると、ご近所さんの木々はショッキングピンクの花を咲かせ始め、プランターの蕾もほころび始めていました。
気分もよく自宅にたどり着くと、自分の畑を見て目を疑いました。
畑は一面に紫の花々が咲き乱れ、その中に点々と、でも決して少なくない量の菜の花が鮮やかに揺れています。謎の大きな葉っぱを持つ植物の正体は菜の花だったようです。1週間前、まだ畑に色はなかったのに、なんて美しい。いつもの場所に立って、畑をぐるりと見回します。
ちょうどお隣の奥さんが畑の作業中で、声を掛けられました。
「綺麗ねえ」
「本当に」
でも、この紫の花々は雑草で、放っておくわけにはいきません。ぼーっとしていたら、また荒地に後戻り。
しかも、兄が言っていたようにブロッコリーはすっかり食べられる状態まで育っていて、影を潜めていたパクチーは、いつの間にか雑草よりも背が伸びていました。
野菜を食べないと。雑草も処理しないと。土づくりもしないと。
春の来訪とともに、風光明媚とやらなければならないことが突然目の前に現れました。