編集者、ライターとして、公私ともに忙しく過ごしてきた。
それは楽しく刺激の多い日々……充実した毎日だと思う。
しかし。
このまま隣室との交流も薄い都会のマンションで、
これから私はどう生きるのか、そして、どう死ぬのか。
今の自分に必要なのは、地域コミュニティなのではないか……。
東京生まれ東京育ちが地方移住を思い立ち、鹿児島へ。
女の後半人生を掘り下げる、移住体験実録進行エッセイ。
2022.3.12
温泉、食べ物、住まい……都会人が知らない贅沢

唐芋標準語をマスターできるのはいつの日か
あいかわらず東京と鹿児島を行き来する日々は続いていましたが、少しずつこの生活にも体が馴染んできました。最初こそ、以前はそれが当たり前だったはずなのに、東京で人気のタレントさんを撮影していると、どこでもドアで別世界に来たような不思議な感覚に陥りましたが、それもだんだんと日常になっていきました。
霧島での暮らしは、まだまだ情報不足だったので、食材を買うにしろ、温泉に入るにしろ、毎日違う場所に行って、行動範囲を広げていくことにしました。
2年前まではよくあったという自治会の集まりやお祭りはすべて中止になっていましたが、少しずつ交流も増えていきました。
ある日は、売主さんが東京土産のお返しにと、霧島市の広報誌と一緒に梨と葡萄をもってきてくれました。憧れていたご近所さんからのお裾分けです。目黒のマンションで隣家に白菜を持っていって、不審な顔をされたときのことが思い出されます。あのときは切なかったな……。お礼を言って、早速ひとつ葡萄を口の中に放り込むと、じゅわ〜っと果汁が口の中に広がり、脳もろとも甘美で満たされていきました。葡萄ってこんなに美味しかったんだ……。東京では高級果物店でしか味わえないレベル。たまらん。
ある日は、自治会長さんが防災無線の受信機なるものを持ってきてくれました。災害が起きたときはもちろん、地域のゴミ掃除などの連絡も、ここから放送が流れるそうです。
千葉が大きな被害にあった台風のことを思い出しました。テレビではずっと台風の話題が流れていましたが、今知りたいのは自分が住んでいる地域のことで、自らアクセスしないと知ることができませんでした。あとから、目黒でも防災無線が流れていたことを知りましたが、強烈な暴風雨の中でそんなものが聞こえるはずもありません。
アナログも悪くない、どうやら頼もしいアイテムを手に入れたようです。
地域の人に私の存在を知ってもらえる機会も増えていきましたが、どうしても言葉の壁は立ちはだかります。
おばあちゃんたちが話す生粋の鹿児島弁が一切わからないのはもちろん、普段耳にする唐芋標準語と呼ばれる言葉にも、イントネーションの規則性を見出すことができずにいました。
祖母の話す言葉には、ほんのり鹿児島弁のイントネーションが残っていましたが、実際にこちらに来てみると、それはほんのりもほんのりだったようです。移住に際してテレビを捨ててしまったことを少し後悔しました。ローカル番組を見ていれば多少は耳も慣れたかもしれません。
東京は、さまざまな地域の人が集まっているため、相手が方言を話しても何とも思いませんでしたが、ここでは東京弁を話す私は異質な存在のように見えます。
少しでも慣れようと、地元のラジオを聞くようにしましたが、霧島でほとんどの時間をひとりで過ごしている私が使いこなせるようになるには、相当な時間を要するように思いました。