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藤原綾「女フリーランス・バツイチ・子なし 42歳からのシングル移住」

男はいなくても家がある。43歳のバースデー

そこで暮らすということ、そこで生きるということ

 久保さんからは危ないからやめておいたほうがいいと言われましたが、ハンドルにしがみつくように高速を走らせ、時々兄を驚かせたり運転を交代してもらったりしながら何とか空港まで送り届けることができました。ほっとしたのも束の間、今度は契約のために霧島へと向かいます。
 ここからは、免許の学科試験前も励ましのメールをくれるなど、もはや親戚のおじさんと化した久保さんがアテンドしてくれることになっていました。
 東京で登記や担保に関する必要書類の準備を済ませ、契約の前日は住民票の移動やら印鑑証明の取得、地銀での口座作成に火災保険の申し込みと、予定がぎっしり詰まっています。市役所に銀行にラーメン屋にと、久保さんが国分の街を案内しながら巡ってくれました。

 市役所で本籍も移すかどうかを聞かれ、一瞬迷いました。江戸川区の実家から目黒のマンションへ移したときは何の疑問も抱かなかったのに、今回は生まれ故郷の東京から両足が離れる感触がします。
 でも、鹿児島で暮らしている人たちに認めてもらうということは、そういうことなのかもしれません。
 地元民と移住者のトラブルを聞かないわけではありません。東京からやってきたコンサルが補助金でちょろっと事業を興して、継続することなく次の町へ移っていってしまう話。自治会に入らない移住者が、住民で守っているサービスを勝手気ままに利用して怒りを買っている話。高齢者が若い移住者にあれやこれやと押し付けて移住者が疲弊してしまう話。一挙手一投足を監視されて、その状況に嫌気がさしてしまう話。
 森永卓郎さんは「失敗したら帰って来ればいい」と言っていました。
 友達も「意外と2年後には東京にいたりしてね」と言っていました。
 東京の仕事で食べていて、東京と行ったり来たりするであろう私が、東京から離れた足を鹿児島の土に埋めて根を張ることができるかどうかわかりません。でもだからこそ、中途半端にしたところで東京に戻る口実がひとつ増えるだけのような気もします。

「本籍も移します」。そう言うと、心なしか久保さんも嬉しそうに見えました。
 若い頃、私は海外だろうとどこだろうと、みんな住みたい場所に住めばいいと思っていました。これからの時代どこにいたって仕事ができるし、可能性は無限大。終身雇用なんてばからしいし、みんな好きなことをして、それをマネタイズすればよかろうもん♪ あーん、素晴らしい時代が到来しちゃうかも! と、大学で学んだことなどすっかり忘れて、好きなことだけやって生きていこう、ルルル♪ とフリーランスになったのでした。
 でも、今思えば、そんな妄想は頭空っぽのたわ言で、今でも当時の自分を深く反省しています。
 その土地を愛して守ろうとしている人、家族のためにその地に残る人、その地を離れたくても離れられない人。個を見ていけば、たまたま自分が自由に生きられる環境にあるだけなのでした。
 経済学に疑問を抱くのはその点で、何やら人間が賢く合理的に動くものという前提で話がなされているような気がします。でも、蓋を開けてみれば、人間はどこまでも愚かで、悉く泥臭く、とことん非合理な生き物なのでした。そもそも人間が合理的な生き物だったら恋愛なんてするはずがないわけで。合理という枠にはめられても、ただひたすらに苦しいだけ。予測不可能なことを予測可能なこととして語る経済学は、哲学をセットにして学んだほうがいいんじゃなかろうか。

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藤原綾

1978年東京生まれ。編集者・ライター。早稲田大学政治経済学部卒業後、某大手生命保険会社に就職するも、大企業の闇に触れて逃げるように宝島社に転職。ファッション誌の編集を経て2007年に独立し、ファッション、美容、ライフスタイル、アウトドア、文芸、ノンフィクション、写真集、機関紙……と、節操なく仕事を受けてきた結果、幅広い業界で編集・執筆活動を行うことに。近年もブランドムック『ANNA SUI COLLECTION BOOK』、雑誌『小学一年生』、漫画『ごろごろにゃんすけ』(村里つむぎ)、書籍『つくるひとびと』(秋山竜次/ロバート)、小説『海の怪』(鈴木光司)、カタログ『LAZY SUSAN』など、極端なノンジャンルで活動中。

インスタグラム @id_aya

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