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40代のおじさんの隠れた可能性に気づかせてくれたのは、初めて足を運んだバーバーと最愛の彼女でした

ドラマ化もされた『死にたい夜にかぎって』で鮮烈デビュー。作家としての夢をかなえた爪切男が、いま思うのは「いい感じのおじさん」になりたいということ。これまでまったく興味がなかったのに、ひょんなことから美容と健康に目覚め……。中年男性が本気で挑む美容と健康にまつわるエッセイ連載です。

前回は健康に大切な食事面のこの2年間を振りかえってみました。
今回は「ここ20年間、基本、自宅バリカンの坊主頭だった著者が、勇気を出しておしゃれなバーバーに行ってみた」です。

(イラスト/山田参助)

第49回 勇気を出して、人生初のおしゃれバーバーへGO!

(イラスト/山田参助)
(イラスト/山田参助)

「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」という早川義夫さんの言葉が大好きで、この言葉を支えにして今まで生きてきた。
 醜くてもいい、ありのままに、欲望のままに生きることこそが真の人間らしさであり、我が人生の美徳とするところである。一見するとだらしない恰好で、己の恋愛や恥ずかしい過去をあけすけに書き連ねることこそが、私が追い求める作家の理想像であり、私にできる唯一のことだと信じてやってきた。
 取材の場で「西村賢太さんに通じるものを爪切男さんには感じるんです」なんて嬉しいことを言われた日にゃ、「あの方の足元にも及ばないですよ」と謙遜しながらも天にも昇る気持ちだった。ほら見ろ、私は何も間違っちゃいない。徒然なるままに、己の欲望のままにやればいいだけさ。そう信じて日々を過ごしていた。

 だが、それは大きな思い違いで、どうやら私は「無頼派」を気取るだけの器を元から持ち合わせていなかった。そのことに気付かせてくれたのが一本の化粧水だった。寝る前に化粧水をつけただけで起き抜けの肌がもっちりとしていたときの感動よ。ああ、もしかして私ってまだ変わることができるのか? 自分に都合のいい評価に身を任せ、楽な方に楽な方に逃げてきた成れの果てが、目の前の鏡に映る情けない体をしたおじさんの姿である。ずっと胸の奥にしまい込んでいた思いを今こそ素直に吐き出そう。私はもう少しだけマシなおじさんになりたい。もう少しだけちゃんとした生活を送ってみたい。

 四十代にして美容と健康に目覚め、おじさんなりに日々の生活を改善してきた結果、はたから見てもそれほど恥ずかしくはない体型を手に入れることができた。その自信を胸に私は今、ホットペッパービューティーで、近所にあるメチャクチャオシャレな理髪店、正しく言えばバーバーを予約したところだ。
 カットやヒゲ剃りだけでなく、ファッションの提案、時には美容メニューの提供など、理容室プラスアルファの価値を提供してくれる場所、それがバーバーなのである。
 万年坊主頭で髭ぼうぼうのおじさんが、アメリカ西海岸風の洒落たバーバーで身なりを整える。他の人から見たらたいしたことではないだろうが、これは私の人生にとっては大きな意味を持つ小さな一歩なのだ。

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 予約当日、雑居ビルの二階にあるバーバーへと続く階段の前で尻込みをする私。たった十五段ほどの階段を昇る勇気が出ない。若い頃から坊主頭なので、バリカンによるセルフカットで散髪は済ませてきた。たまには誰かに髪を切ってもらおうかと、先日、二十何年振りに1000円カットに足を運んだのだが、やはりオシャレなバーバーとなると敷居の高さを感じてしまう。今すぐ回れ右して1000円カットに逃げ込もうか、いや、臆するな、今まで積み重ねてきた美容と健康に関する努力を思い出せ。毎日続けてきたシートマスクと毎日飲んできたルイボスティーの味を思い出せ。
 
「いらっしゃいませ、ご予約の方ですね?」
 階段を昇った先で、元K-1ファイターの魔裟斗によく似たイケイケの店員さんが私を出迎えてくれた。店内には落ち着いた感じの格好良いヒップホップが流れている。
「外、暑いっすよね。今日35度まで上がるみたいですよ」
 入店直後から汗ダラダラになっている私を見て、気さくに声をかけてくれたのだろうが、すいません、この汗の7割は緊張による冷や汗です。
「今日はどんな感じにしますか?」という質問に「あの……いつも家で自分で坊主にしてるので……自分じゃできない感じの坊主にして欲しいです」とリクエスト。緊張でぼそぼそとしか喋れない私に「OKす。じゃあ襟足から頭頂部にかけて髪の長さが違うスタイルでいきましょう」と微笑みかける魔裟斗似のお兄さん。なんてワイルドかつ優しい笑顔なんだ。あなたになら何をされても大丈夫です。

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 バリカンとシェーバーを駆使して私の頭を丹念に綺麗に丸めていく。いまだ緊張が取れず、体がカチコチになっている私。大人になっても緊張することってまだまだあるんだな、人生とはげに愉快で難しいものだ……と、ちょっと達観の境地に至り始める。
 10分ほどでカットは終了。襟足と耳元はほぼ地肌で、そこから1ミリ、0.5ミリと頭頂部にかけて長さを変えている。スキンフェードというスタイルらしい。頭を手のひらでなぞり上げるだけでわかる。やっぱりプロってすごいわ。髪の長さも綺麗に統一されているし、惚れ惚れするような出来ばえである。感動で言葉が出ない私に「お似合いですよ」と声をかけてくれる理容師さん。いいおじさんがさっきから照れてばっかりですいません。

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 カットの後はシャンプーに移る。誰かに髪を洗ってもらうのなんていつ以来だ。エッチなお店で綺麗なお姉さんに洗ってもらった以来だな。なんとも恥ずかしい話です。
 誰かに頭を洗ってもらうのって単純に気持ちがいい。ぐいぐいと時折頭皮をマッサージしてくれるのが快感である。シャンプーをしてもらうだけに美容院に通う人がいるという話も納得である。
 さっぱりとした後は、シェービングで眉毛と髭を整えてもらう。頬に感じるシェービングクリームの感触。ああ、二十何年振りのぬくもりだ。昔から散髪屋が苦手だったのだが、顔そりの時にあたたかい泡をつけてもらうのは大好きだったことを思い出す。
 眉毛と髭をどうするかと聞かれたが、自分に似合う形がわからないので店員さんにお任せすることに。眉毛は細くなりすぎないほうがいいと思うのだが、髭に関してはどういうものがかっこいいのか皆目見当がつかない。
 お兄さんのセンスにより、眉毛は太いままで長さだけを整えてもらった。髭に関しては口髭と顎髭をバランス良く残した形に落ち着いた。
「うわ~、俳優の宇野祥平みたいで格好良い……」と思わず漏らしてしまうぐらいの完成度だ。餅は餅屋という言葉は本当だ。私という素材にはまだまだこんな可能性が隠されていたんだな。他人の魅力を引き出す理容師、美容師という仕事は実に素晴らしいお仕事である。
 バーバーを出た途端、頬に感じる風と照り付ける七月の日差しがとても心地良い。この世には自分の知らない感動が山ほどあるんだな。若い頃に初めて風俗に行った帰り道にも同じようなことを思った記憶がある。あの魔裟斗さんとは長いお付き合いになりそうだ。そんなことを考えながら、足弾ませながら家に帰る私であった。

ビフォー正面。
ビフォー正面。
ビフォー横。
ビフォー横。
アフター正面。
アフター正面。
アフタ-横。
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爪切男

つめ・きりお●作家。1979年生まれ、香川県出身。
2018年『死にたい夜にかぎって』(扶桑社)にてデビュー。同作が賀来賢人主演でドラマ化されるなど話題を集める。21年2月から『もはや僕は人間じゃない』(中央公論新社)、『働きアリに花束を』(扶桑社)、『クラスメイトの女子、全員好きでした』(集英社)とデビュー2作目から3社横断3か月連続刊行され話題に。
最新エッセイ『きょうも延長ナリ』(扶桑社)発売中!

公式ツイッター@tsumekiriman
(撮影/江森丈晃)

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