よみタイ

化粧水を買うのは、エロ本を買うよりちょっとだけ恥ずかしい

 本日の原稿仕事は早めに切り上げ、丑三つ時の街へと自転車をこぎ出す。ブレた思考を明確にするには真夜中のサイクリングが最適だ。だが、ペダルをひと漕ぎするたびにブルドッグのような荒い鼻息を立ててしまう私は、そんなに遠くまで行けやしない。
 小休憩と暇つぶしを兼ね、深夜のドン・キホーテに立ち寄る。これでもかと商品をねじ込んだ圧縮陳列と、ド派手なPOPの嵐を見ていると、傷ついた心が徐々に癒えてくる。なんとも不思議な気分だ。もしかしたら、深夜のドンキに出没する人々は、この〝癒し〟を求めてやって来るのだろうか。

 運動でも始めるかと健康器具のコーナーを覗いてみたが、とてもじゃないが長続きする気がしない。とはいえジムには通いたくない。時間もお金もかかるし、何より醜い体を人前に晒したくない。そんなとき、私の目に飛び込んできたのが店内でもひと際眩しい光りを放つ化粧品コーナーだった。
 昔、同棲していた彼女、恐ろしいぐらいにズボラだった彼女でも、毎日の化粧水はちゃんとやっていた。いろいろと苦労が絶えなかったであろう私との生活の中でも、あいつの肌はいつもスベスベしていたな。

 私は吸い寄せられるように化粧水コーナーへ。その商品数の多さに思わず面食らってしまう。どれを選んでいいのか見当もつかない。喫茶店で珈琲豆の銘柄を説明されても味が全く想像できないあの感じだ。「オイリー肌のあなたはコレ一択!」と言われても、自分の肌の種類すら私にはわからない。
 ふと視界に入った「イソフラボン」という文字。イソフラボン? ああ、大豆に多く含まれている成分か。……うん、これだ。だって私は大の豆腐好き。居酒屋に行って、冷奴と肉豆腐を同時に頼むのはいつものことである。豆腐の原料である大豆に多く含まれるイソフラボンに全てを懸けてみよう。

 レジにて「豆乳イソフラボン化粧水」を購入。なぜだろう、TENGAやエロ本を買うときよりもちょっと恥ずかしくて、心地の良い緊張感があった。
 何年振りかわからない自転車の立ち漕ぎで家へと急ぐ。誰もいない信号待ちの交差点で、化粧水を空に掲げて叫ぶ。これが俺の化粧水だ!

 帰宅後、時刻は午前三時を回っていた。風呂場へ飛び込み、いつもより入念に顔を洗う。「洗顔後に適量をお肌になじませてください」と説明書きがあるが、その適量を教えてほしい。加減がわからず、掌からこぼれ落ちていく化粧水を「もったいない、もったいない」と顔にたたきつける。
 うん、いいぞ。こんなことでゴブリンから人間になれるとは思わないが、体にいいことをしたような、ひとつ徳を積んだような充実感がある。こういう思い込みが大切だな。なんだか今日はよく眠れそうだ。

 翌日、私はいつものように公園で日向ぼっこに勤しんでいた。昨日と同じく、小学生たちは遠目から「ゴブリン……」とはやし立ててくる。
 聞いてくれ、子供たちよ。おじさんは今猛烈に感動している。たった一度化粧水をつけただけなのに、起き抜けの肌がモチモチでプルンプルンしていたんだよ。今のおじさんは太っちょゴブリンかもしれない。でも、もう少しいい感じのゴブリンになれるかもしれないんだ。

 午前三時の化粧水から、太っちょゴブリンの、いや、私の新しい物語が始まった。

(イラスト/山田参助)
(イラスト/山田参助)

次回は8月14日(日)21時配信予定です。お楽しみに!

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爪切男

つめ・きりお●作家。1979年生まれ、香川県出身。
2018年『死にたい夜にかぎって』(扶桑社)にてデビュー。同作が賀来賢人主演でドラマ化されるなど話題を集める。21年2月から『もはや僕は人間じゃない』(中央公論新社)、『働きアリに花束を』(扶桑社)、『クラスメイトの女子、全員好きでした』(集英社)とデビュー2作目から3社横断3か月連続刊行され話題に。
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公式ツイッター@tsumekiriman
(撮影/江森丈晃)

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