2021.12.28
江戸時代漫画事情──慈悲の手と、無慈悲な表現規制の果て
体液頂戴物でない、純粋な娯楽
このように、黄表紙のエンタメは教養のある大人を対象に作られている。歴史や伝説の知識があり、語源説がでっちあげであることに気づけて、下ネタのほのめかしなどが理解できないと、この作品をおもしろく鑑賞ができない。かといって、衒学的な、インテリのいやらしい笑いでもなく、この時代に代表される「滑稽」という種類のおもしろさが特徴的だ。老若男女身分問わず、歴史の人物も、何なら神も仏も鬼すらも、みんながみんなバカバカしい。(現代の感覚からすると、文字が書けない人をギャグにすることにためらいがあるが……)作品内に「読者の人生に影響を与えてやろう」といわんばかりのクソバイスもなければ、「泣かせてやろう」「興奮させてやろう」といった体液頂戴物でもない。滑稽は清潔ではないが、純粋だ。純粋な娯楽に私は憧れる。
なので正直、黄表紙のあとに続く「合巻」や「読本」といった種類の作品はあんまり得意じゃない。それらは仇討ちものや歌舞伎を題材にしたもの多く、ポップで娯楽的な物語は文化の傍流に追いやられてしまう。というのも、1793年の寛政の改革で、学問および思想、そして黄表紙を含む出版物の規制が行われたため、滑稽や諧謔、風刺作品は禁じられ、儒教的な忠孝を説く作品へ、作家達は方向転換を余儀なくされた。黄表紙ブームを作った恋川春町や山東京伝もこの改革で処罰され、恋川はそれを機に隠居した。
合巻は絵が主体で、読本は文章が主体という違いがあるものの、黄表紙以前よりも筋が複雑・長編化しているという特徴が共通する。黄表紙作家として処罰された京伝は、以降この読本作家としても活躍した。
ポンチ絵と小説の明治時代へ
明治時代になると、合巻のように絵主体の本は、社会風刺を描いた新聞漫画「ポンチ絵」へ、読本のように文章主体の本は西洋から輸入した「小説」へとゆるやかにその座を譲る。まぁしかし、黄表紙のように一度は規制された滑稽・諧謔が持ち味の絵本が、幕末・明治期にポンチ絵として復活し、それが今日の漫画の土台を築いたのは、なんだか感慨深い。その後の流れを見ても、漫画の歴史は表現規制との戦いの歴史でもあるだろう。
そういえば、私が小学生の頃に挫折した『南総里見八犬伝』は曲亭馬琴が書いた読本である。もちろん当時は子ども向けに易しくしたものだったが、『里見八犬伝』再挑戦を来年2022年の目標にしてみてもいいかもしれない。学生の頃、ドラマ、映画、歌舞伎、文楽と形式を変えて鑑賞しても、いまいち興味が出なかった仇討ち系だが……無事に最後まで読み終えたら、ぜひここでまた取り上げたい。
【注釈】
(*1)江戸時代後期に活躍した戯作作家、浮世絵師。黄表紙の代表作『江戸生艶気樺焼』は、金持ちだが容姿に恵まれない男が、当世風なモテ男になろうと奮闘する物語。「出世して女性にリベンジする!」という現代的な弱者男性のストーリーではなく、「とにかくオシャレにモテたいです!」の一点張りなのがおもしろい。
(*2)坂上田村麻呂は千手観音を本尊とした清水寺を建立。千手観音の加護で鈴鹿の賊を討伐したと言い伝えられている。
【参考文献】
水野稔校注『日本古典文学大系59 黄表紙・洒落本集』(岩波書店 1958)
『日本古典文学大辞典』第一巻(岩波書店 1983)
同書 第四巻(1984)
水野稔『黄表紙・洒落本の世界』(岩波書店 1976)
清水勲『図説漫画の歴史』(河出書房新社 1999)
連載第4回は1/25(火)公開予定です。