2021.11.30
天下一言語遊戯会──俳諧史とポピュラー音楽の意外な共通点
俳諧の歴史を知ると前向きになれる
そして芭蕉が起こした変化と、わたしが現代ポピュラー音楽の現在と似ているな~と感じる点はもうひとつある。一度の句会で巻いた句の数だ。貞門・談林時代では、百句つらねる「百韻」形式が基本だったのだが、芭蕉は三十六句(三十六歌仙にちなみ、この形式を「歌仙」と呼ぶ)まで短くなった。その理由のひとつに、句のつなげ(付け)方や俳諧性が、芭蕉の登場でそれはもうめちゃくちゃに洗練されたことがある。余韻や行間を重んじるようになり、ただペダンティックに古典を引用したり、ダジャレに興じたりするのでは適わなくなったのだ。ほかにも、俳諧が武士や僧侶などの有閑インテリ層だけでなく、いそがしく働く商人階級にも広がり、百韻も巻く時間がなくなったことも影響しているだろう。
尺が短くなる傾向は今現在のポップスにも見受けられる。20年前の楽曲で5分を超えるのはそんなに不思議なものではなかったが、最近はチャート上位にそんな長い曲が来るのはレアケースじゃないかと個人的には感じる。勝手な推論だけど、サブスクサービスで曲を聴くのが若年層の主流になり、音楽の「数字」は円盤売上ではなく再生回数を指すようになった。一回聴いただけで満足されたら「数字」にならないので、ちょっと物足りなく感じさせるため短くする、という戦略も邪推できるが、何もそんな商業的な理由だけではないと思う。すべてを説明しきらない、シャープな余情が求められているのかもしれない。
こうして俳諧の歴史と照らし合わせてみると、まだまだ音楽業界に様々な変化を期待できるかもしれない。芭蕉の少しあとには上島鬼貫が活躍し、時代が下れば与謝蕪村や小林一茶も有名だ。もちろんまったく同じ流れを繰り返すことはないだろうけれど、歴史を振り返るたびに、不思議と前向きな気分になる。
【注釈】
(*1)12世紀ごろにはすでに、雅な和歌的情緒のある連歌を「有心連歌」、言語遊戯に興じた俗なそれを「無心連歌」と分けていたそうだ。「俗」な俳諧の連歌は貞門俳諧でいきなり成立したのではなく、中世から存在していた。
(*2)田中善信「談林俳諧における寓言論の発生について」
(*3)中村幸彦(『中村幸彦著作集』第9巻 P.168) ただし中村は同書で「談林は(中略)滑稽の文学である。滑稽文学は、明治以後現代まで軽視する傾向が続いている。柳田國男爺のいわゆる不幸なる芸術にさせたくないものである」と続けているように、談林派軽視の論壇に対し懐疑的であった。
(*4)PCを使って楽曲制作をすることをDTM(デスクトップミュージック)と呼ぶ。DTMerはそれをするひとたちの通称。
(*5)iPhone等をはじめとしたApple社製品には「GarageBand」という簡易的な音楽制作ソフトが標準搭載されている。また、より自由度の高く「Logic Pro」というソフトも、iMacやMacBookシリーズ購入時に他社製品よりも比較的安価に同時購入することができ、時が下るほど音楽制作を始めるハードルが下がっている。
【参考文献】
池澤夏樹編 丸谷才一・大岡信・高橋治著『日本文学全集 12巻 とくとく歌仙』(河出書房新社 2016)
穎原退蔵校注『去来抄・三冊子・旅寝論』(岩波書店 1939)
櫻井武次郎『連句文芸の流れ』(和泉選書 1989)
田中善信「談林俳諧における寓言論の発生について」(『国文学研究』49,P65-73 早稲田大学国文学会 1973)
中野三敏『十八世紀の江戸文芸――雅と俗の成熟』(岩波書店 2015)
中村俊定「貞門俳諧の諸問題 重頼(維舟)と宗因の関係について」(『国文学研究』7,P84-93 早稲田大学国文学会 1952)
中村幸彦『中村幸彦著述集』第1巻・第9巻(中央公論社 1982)
長谷川櫂『古池に蛙は飛び込んだか』(花神社 2005)
連載第3回は12/28(火)公開予定です。