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村井理子「犬と本とごはんがあれば 湖畔の読書時間」
実兄の孤独死をめぐる顚末を描いたロングセラー『兄の終い』のほか、翻訳書『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』、発売即重版となった最新作のエッセイ『全員悪人』など、数多くの注目作を手掛ける翻訳家の村井さんが琵琶湖畔に暮らして十数年。
夫、10代の双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリー君と賑やかな毎日を送っています。
公私ともに古今東西の書籍にふれる村井さんは、日々何を読み、何を思い、どう暮らしているのでしょうか。
人気翻訳家によるエッセイ+読書案内。

自分一人の世界を持ちたいと願う気持ち―受験、介護、仕事、家事の合間に求めるものは

 今年の夏は雨が多く、ギラギラとした夏独特の太陽を見ていないなと思っていたら、庭木の葉が、一部黄色く色づいてきた。確かに少しだけ肌寒い時間帯が増えたものの、瞬く間に秋が来てしまったと少し残念な気持ちになる。こんな田舎に住んでいると、季節の移ろいに敏感になるもので、特に夏山の変化に富む色あいは年々胸に迫るほど美しく思えるようになってきた。ようやく周囲の環境に目を向ける落ち着きというものが自分に備わったというのに、堪能する間もなく季節はどんどん先に進む。それにしても五〇代は予想以上に気づきの多い年代だ。頭のなかはいつまでも変わらないのに、入れ物だけ年季が入ってくる。ため息が出る。

 子どもの受験、両親の介護、自分の仕事、そして家事と、山ほどの課題を抱えていると、一ヶ月ぐらいは飛ぶように過ぎていってしまう。なにせ今年だって、すでに半分以上過ぎているではないか。怠け癖のある自分にしては、仕事は順調に進んでいるけれど、仕事が進めば進むほど、それ以外の課題が私を悩ませる。思春期を迎えた息子たちはいよいよ難しく、彼らにとって天王山とも言える夏休みは終わってしまった。これから本格的に受験勉強をしなければならない。「しなければならない」と書いてはいるが、実際に勉強をするのは子どもの方で、すんなりそう仕向けられるほど簡単なことだったら、私もここまで悩まない。年老いた両親は、日々どこかしら不調を訴える。訴えるのは自由だが、自分たちで解決できることはそうしてほしいと願うのは、冷たいことだろうか。夫は仕事が多忙を極め、両親の介護との間で悩んでいる。できれば逃げ出したいというのが本音だろう。そりゃあね。私だって実の親の介護であれば、とっくに逃げ出している。

 こんな私にとっての安らぎは、一人と一匹の時間だ。愛犬とソファに座り、彼の大きな頭を撫でていると、小さな問題で(いや、さほど小さくもないけれども)悩んでいるのが馬鹿らしくなってくる。座ってぼんやりしていると、このままずっとこうしていられたらどれだけ幸せだろうと思う。誰かのために料理する必要もなく、日がな一日、こうして犬と一緒に過ごしながら、好きな本でも読んでいたい。自分の分であれば、料理なんてしなくていい。コンビニでおにぎりとジュースを買ってくれば事足りる。誰にも邪魔されることなく、静かな部屋でこうやっていつまでも過ごすことができたら……こんな気持ちが大きく膨らみ、最近は賃貸物件の紹介をする動画を一日に最低一時間はじっくりと見ている。気に入った物件を見つけるとお気に入りに登録して、その見知らぬ町の、足を踏み入れたこともないマンションの一室で、犬と暮らす自分を想像して、何か新しいことを始める前のわくわくとした気持ちを楽しんでいる。おかしいだろうか。

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村井理子

翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。主な連載に「村井さんちの生活」(新潮社「Webでも考える人」)、「犬(きみ)がいるから」(亜紀書房「あき地」)。主な著書に『兄の終い』(CCCメディアハウス)、『村井さんちの生活』(新潮社)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』(亜紀書房)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)など。主な訳書に『サカナ・レッスン』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』など。
家族の実話を描く近刊のエッセイ『全員悪人』が大好評、話題となっている。
最新刊は『ハリー、大きな幸せ』(亜紀書房)、および『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)。

ツイッター:@Riko_Murai
ブログ:https://rikomurai.com/

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