よみタイ

村井理子「犬と本とごはんがあれば 湖畔の読書時間」
実兄の孤独死をめぐる顚末を、怒り、哀しみ、そして、ほんの少しのユーモアで描いたロングセラー『兄の終い』のほか、『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『メイドの手帖』、そして昨秋刊行された話題作『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』など、数多くの注目翻訳作品を手掛ける翻訳家の村井さんが琵琶湖畔に暮らして十数年。
夫、10代の双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリー君と賑やかな毎日を送っています。
公私ともに古今東西の書籍にふれる村井さんは、日々何を読み、何を思い、どう暮らしているのでしょうか。
人気翻訳家によるエッセイ+読書案内。

喫茶店の娘が直面した30年前の愛憎劇—美味しいサンドイッチとコーヒーと

 大学三回生の夏だったと思う。一学年上の先輩に呼び出され、阪急西京極駅近くの喫茶店に出向いた。私は当時、その喫茶店から徒歩数分の場所にあるマンションで一人暮らしをしており、先輩は「ちょっと来て。話したいことがあるから」と、唐突に電話してきたのだった。
 その喫茶店は白いタイル張りのビルの二階にあり、道路に面した壁一面がガラス窓になっていて、外から店内の様子がよく見えるようになっていた。大学生のアルバイト先としてはよく知られていた店で、多くの学生が働いていた。時給がよかったからだ。その代わり、女子学生は白いミニスカートを履いて勤務しなければならないというルールがあり、一部学生(私を含む)のあいだで評判は最悪だった。店の外を通る人が窓を見上げると、ミニスカートの女子大生が働く姿が見えるのだから、そういう計算あってのことだったのだろう。私は一度も行ったことはなかったし、外壁の白いタイルがきらきらと輝くバブルの遺産のような建物内に入ることすら躊躇する人生を送っていた私には、先輩の誘いがずいぶん気の重いものだったことを記憶している。
 嫌々ながらビルの階段を上り、店に入ると、先輩は窓際の席に一人座り、そこから通りを必死になって見つめていた。まるで張り込みだ。私が来たのにも気づかず、眼下を歩く人たちを、通り過ぎる車を、休むことなく凝視していた。私が目の前の席に座って挨拶すると、「ごめんね、呼び出しちゃって」と言い、「彼氏と連絡が取れなくて」と言った。先輩の彼氏は何を隠そう私の友人だった。大の仲良しだった。その数週間前から、「別れたいんやけど……」と相談されていたのだ。これはマズイことになったぞと思った。
 先輩は、私と先輩の彼氏が友人であることを当然知っていて、「最近会った?」と、私に目もくれずに聞いてきた。「うーん、授業にはいたかもしれないですけど……」と答えると、「ああそう」と言った先輩は、その時もまだ、窓から外を見ていた。
「私、ここで二ヶ月前からバイトしてたの知ってる?」と先輩に聞かれ、驚いた。え、先輩、ミニスカートでアルバイトしてたんだ!? と狼狽えている私に、「あの子も一緒にキッチンでバイトしてたの知ってる?」と先輩は矢継ぎ早に聞いた。え、あいつもバイトしてたんだ!? とにかく私は、「いえ、全然知りませんでした……」と答えた。すると先輩は、「あの子、今日シフトに入っているんだよ。だからここで待ってんの。電話しても出てくれないしね」 

 あれ……雲行きが怪しくない? 先輩、何か怒ってる? 友人とのあいだにやましいことは一切ないが、野生の勘で逃げなければと思った。

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村井理子

翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。主な連載に「村井さんちの生活」(新潮社「Webでも考える人」)、「犬(きみ)がいるから」(亜紀書房「あき地」)。主な著書に『兄の終い』(CCCメディアハウス)、『村井さんちの生活』(新潮社)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』(亜紀書房)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)など。主な訳書に『サカナ・レッスン』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』など。
家族の実話を描く近刊のエッセイ『全員悪人』が大好評、話題となっている。

ツイッター:@Riko_Murai
ブログ:https://rikomurai.com/

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