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村井理子「犬と本とごはんがあれば 湖畔の読書時間」

義父母の介護体験、現在進行形―私は一度も娘であったことはなかった

 すっかり変わってしまった義母を前にして、私の感情は完全なるなぎだ。今更何を言われても腹は立たないし、むしろ、老いが原因と思われる漠然とした不安感や、持って行きようのない攻撃心と猜疑心を、受け止めてあげたいとも思う。老いた人がたたえる独特の静けさと、そこに漂う悲しさを目撃しては、はっと息をのむ。老いとは、受け入れながらも翻弄されてしまうものだと確信する。こんな気持ちになるなんて、夢にも思わなかった。変わっていく親に激しい苛立ち、やり場のない怒り、悲しみを抱えている夫と私の間には、明らかに別の感情が流れている。夫は実の親に複雑すぎる気持ちを抱き、私は、実の親ではない親に、一人の人間として対峙している。義父も義母も、夫である息子には言えないことを、私には素直に相談してくれるようになった。しかし、二人の私への思いが強くなればなるほど、私は冷静になっていく。適切な距離をとり、流されまいとする。

 結局私は、一度も二人の娘であったことはなかった。書類上はそうであっても、そうではなかった。だからこそ、私は二人に対して、夫の何倍も穏やかに対応することができているのだ。この境地に辿りつくことができてよかったと思う。

 実の親の介護を、同じような気持ちで出来ていただろうか。想像しただけで無理だとわかるし、できることなら想像すらしたくはない。そんなことをしてしまったら最後、ありもしない問題が浮かび上がり、怒りが湧いてきてしまう。体験したこともないくせに、どっと疲れてしまう。怒りの上に悲しみが重ねられ、やっかいな感情のミルフィーユのできあがりだ。実の親がすでにこの世の人ではないことは悲しいが、しかし二人が老いた姿を目撃することがなく済んだことに、ほんの少し安堵している。私は酷い人間でしょうか。

 家事をこなし、大量に溜まっている仕事をやっつけながら、夫の両親の通院や様々な雑事をこなす日々だ。杖をついて歩く義父の歩調に合わせ、義母の百回目の愚痴を聞く。同じことを何度も何度も説明しながら、まるで初めて説明するかのように取り繕うのが最高に上手になった。こんなにも面倒なことを、自分ができるようになるとは思わなかった。五十年も生きていると、辛抱強くなるらしい。

 結局、私は見ているのだ。目の前に展開される人間の変化を、気持ちの動きを、私はつぶさに追っている。ひとつも漏らさぬように、この目で追い続けている。老いて穏やかになった夫の両親につきあいながら、私は一瞬たりとも休むことなく、二人の心の動きを想像し続けている。頭のなかで、文字が次々と流れていく。物語を紡いでいる。

 読んだのは、人気ブロガー、カータンの『健康以下、介護未満 親のトリセツ』。カータンの独特なイラストと手書き文字によるコミックエッセイは、最高にクセになる。長年読んでいるが、同年代のカータンも、ご両親の介護に奮闘されている。カータン、描いてくれて本当にありがとう。そして、戦友のようなお姉さんのいるカータンが、とてもうらやましい。

カータン著『健康以下、介護未満 親トリセツ』(2020年4月刊行/KADOKAWA)
カータン著『健康以下、介護未満 親トリセツ』(2020年4月刊行/KADOKAWA)
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村井理子

翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。主な連載に「村井さんちの生活」(新潮社「Webでも考える人」)、「犬(きみ)がいるから」(亜紀書房「あき地」)。最新刊は『兄の終い』 。主な著書に『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』(亜紀書房)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)など。主な訳書に『サカナ・レッスン』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『黄金州の殺人鬼』など。
最新刊は、エッセイ集『村井さんちの生活』(新潮社)と、翻訳書『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』(双葉社)。

ツイッター:@Riko_Murai
ブログ:https://rikomurai.com/

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