2024.1.10
駄菓子の話ができない
それでもたまに、駄菓子屋で駄菓子を買いたくなり、台所で晩御飯の用意をしている母親の背中に向かって、
「今日は○○さんと△△さんと遊んだ後、駄菓子屋に行くっていうからついていったの。二人とも二個ずつお菓子を買ってた」
と話すと、彼女はこちらに背を向けたまま、
「ふーん、そう」
といって終わりだった。
しかし親も多少不憫に思ったのか、たまに、
「欲しい駄菓子があるのだったら、一緒に行って買ってあげる」
といわれたものの、駄菓子屋は友だちと一緒にわいわいいいながら行くから楽しいのであって、親と行っても楽しくない。そういうところが親はわかっていないと、私は不満だった。
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駄菓子屋で売っているもののなかには、スーパーマーケットや菓子店で売られているものもあり、買い物についていったときには、それを買ってもらった。必ず買ってもらったのは、大好きな「ココアシガレット」。四粒入りの「オレンジマーブルフーセンガム」、赤と白の明治の「サイコロキャラメル」。赤、緑、黄色の鮮やかな色のセロファンで包まれた、タブレット状のラムネ菓子。どういうパッケージかは忘れたが、ピンク色の、平べったい消しゴムのようなフーセンガム。「カルミン」「パラソルチョコレート」や「コインチョコレート」もよく買ってもらった。駄菓子ではないが、「サクマ式ドロップス」も好きだった。特にハッカ味は最後まで残して大事に食べていた。私は好きではなかったが、母親が必ず「中野の都こんぶ」を買っていたのを思い出す。
だいたい今のように、いつでもケーキが食べられるような環境ではなく、御祝のときくらいしかケーキも食べられなかった。お菓子も毎日、食べるわけではなく、
「何かお菓子を食べたい」
と母親に訴えると、口の中に先ほどの都こんぶや、炙ったするめを突っ込まれた。それしかないのでそれをしゃぶっているしかなかったのである。そこに、日々、小銭で買える駄菓子があれば、そんな訴えをしなくても済んだだろうが、親の管理下にいた時代なので、それも仕方がない。
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