よみタイ

抹茶騒動

『かもめ食堂』のおにぎり、『パンとスープとネコ日和』の様々なスープ。
群ようこさんが小説の中で描く食べ物は、文面から美味しさが伝わってきます。
調理師の母のもとに育ち、今も健康的な食生活を心がける群さんの、幼少期から現在に至るまでの「食」をめぐるエッセイです。

イラスト/佐々木一澄

ちゃぶ台ぐるぐる 第17回 抹茶騒動

イラストレーション:佐々木一澄
イラストレーション:佐々木一澄

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 私は六十八歳のときに、遅まきながら茶道のお稽古をはじめた。師匠は元担当編集者で、年齢は私と二歳しか違わないのに、茶道歴は六十年という方である。若い頃はまったく興味がなく、面倒くさそうで避けていた茶道だったが、はじめてみるととても面白くて、これからの新しい楽しみが増えたと、喜んで通っている。
 ところが最近になって問題が起こっている。お稽古に必須の抹茶が気軽にいつでも買えないようになってきたのだ。今までは師匠が都心や京都に行ったときなどに、購入してくださったものが多々あった。しかし私もお稽古が進むにつれて、抹茶の味に興味が出てきて、様々な茶舗のものを試したくなり、通販で物を買い慣れていることもあって、京都の様々な茶舗から、面白がって抹茶を購入しては社中にお届けし、お稽古のときにいただいていた。
 どこでもスムーズに抹茶が買えたのに、二〇二四年の夏過ぎから、ちょっと変な様子になってきた。抹茶には薄茶用とこいちや用がある。お稽古では薄茶、濃茶のそれぞれのて方を教えていただく。それまではどこの茶舗でも、いろいろな銘柄の抹茶を一度に四缶、五缶と買えていたのに、あれよあれよという間に、ほうじ茶、煎茶、玉露などは在庫があるのに、抹茶のみが在庫なしになったり、販売停止になったりするようになった。日本人にとってお茶は、当たり前にあるものだったのにである。
 煎茶、ほうじ茶に比べて、抹茶はどの家でも飲むわけではなく、一般的ではないかもしれないが、日本人には当然、なじみのあるお茶である。ずいぶん前から、抹茶が洋菓子にも使われて、人気があるというのは知っていた。インバウンドの外国人観光客が、自国では売られていない、抹茶味のお菓子を大量に購入して帰るという話も聞いた。それでも抹茶は潤沢にあるものだと思っていたのに、そうではなかったのだ。
 師匠がデパートで抹茶売り場の担当者に話を聞くと、
「抹茶はすぐには作れないので、ひと月かふた月すれば、また発売されるのでは」
 といっていたと話していたので、少し安心していた。ところが月を追うごとに抹茶は品薄になっていき、ひと月、ふた月経っても、状況は改善されなかった。師匠が買いためておいてくださったものもあり、半年くらいは持ちそうだけれども、気軽に入手できないとなると、
「その先のお稽古のときはどうしよう」
と不安になってきたのである。
 私も茶舗を片っ端から検索し、在庫があるものを買おうとした。抹茶は通常は二十グラムから四十グラム入りの小さな缶か、百グラム入りの大きい缶で売られている。しかし少量の抹茶はすべて品切れで、百グラムのものだけ在庫があるなど、変則的な状況になっていた。少人数の社中なので、大きな缶を購入する必要はないのだけれど、抹茶がないのは困るので、師匠と連絡を取り合いながら、百グラム缶を買い集めたりした。以前、購入していた茶舗のサイトを見ても、価格の高いものが品切れで、安いものは在庫がある場合が多かった。茶舗の品切れの理由には資材不足とあったのだが、その資材が何であるかは私にはよくわからなかった。
 抹茶を製造するのは大変らしい。調べたところによると、まず新芽に直射日光が当たらないように、覆いをして育てる。こうすると渋みが少なくなるそうである。それを手摘みしたものを、すぐに蒸気で蒸して乾燥させ、茎、葉脈などを取り除いて茶葉のみにする。それをてんちやといい、石臼でいて抹茶にするのだ。
 たしかに手間がかかるものなのだが、今までスムーズに買えたのに、どうして急にと不思議に思っていたら、外国人による大量購入が原因らしいとわかったのである。師匠から「このようなものがあった」とヤフーニュースの掲載記事がLINEで送られてきた。それによると京都の老舗茶舗の社長の話では、開店前に外国人が並んでいて、抹茶が飛ぶように売れているという。そして彼らは抹茶を複数缶購入した後、店内のカフェで抹茶パフェなどを食べる。多くの外国人客は、値段が高い高級な抹茶から買っていくので、それらは品切れ状態になっていて、社長は、今までに経験したことがないほど販売が急増して生産が追いつかず、売り切れが多く供給が不安定になっていると語っていた。国内で抹茶が不足していることも嘆いていた。
 また別の茶舗の方によると、欧米だけではなく中東でも人気になっているようだ。外国人は抹茶がとても体にいいと思っていて、スーパーフードとしてとらえられている。日本人が長寿で、特に女性は若く見えて肌がきれいなのはお茶のおかげなのではと考えているらしいとのことだった。
 それを読んで、
「ええっ?」
 と驚いたのだが、抹茶を飲まなくてもきれいな人はたくさんいるし、飲んでいてもそうではない人もたくさんいる。
「その現実の部分を、きちんと教えてあげないと、間違った情報をみにされても困るわよねえ」
 社中で笑ったのだが、こういうことは世界中、同じ感覚なのだとわかった。

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群ようこ

むれ・ようこ●1954年東京都生まれ。日本大学藝術学部卒業。広告会社などを経て、78年「本の雑誌社」入社。84年にエッセイ『午前零時の玄米パン』で作家としてデビューし、同年に専業作家となる。小説に『無印結婚物語』などの<無印>シリーズ、『しあわせの輪 れんげ荘物語』『雑草と恋愛 れんげ荘物語』などの<れんげ荘>シリーズ、『今日もお疲れさま パンとスープとネコ日和』などの<パンとスープとネコ日和>シリーズの他、『かもめ食堂』『また明日』『捨てたい人捨てたくない人』、エッセイに『ゆるい生活』『欲と収納』『還暦着物日記』『この先には、何がある?』『じじばばのるつぼ』『きものが着たい』『たべる生活』『小福ときどき災難』『今日は、これをしました』『スマホになじんでおりません』『たりる生活』『老いとお金』『こんな感じで書いてます』『老いてお茶を習う』『六十路通過道中』、評伝に『贅沢貧乏のマリア』『妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子』など著書多数。

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