2025.5.23
高齢者と介護職員、そしてアーティスト。交わることで生まれた「ケア」の可能性@クロスプレイ東松山【後編】
これらには、視覚・聴覚障害のある人とない人がともに楽しむ鑑賞会や、認知症のある高齢者のための鑑賞プログラムなど、さまざまな形があります。
また、現在はアーティストがケアにまつわる社会課題にコミットするアートプロジェクトも増えつつあります。
アートとケアはどんな協働ができるか、アートは人々に何をもたらすのか。
あるいはケアの中で生まれるクリエイティビティについてーー。
高齢の母を自宅で介護する筆者が、多様なプロジェクトの取材や関係者インタビューを通してケアとアートの可能性を考察します。
今回は埼玉県東松山市の高齢者福祉施設「デイサービス楽らく」で行われているプロジェクト「クロスプレイ東松山」を取材。前編ではプロジェクトの背景や意図、その具体的な取り組みについて紹介しました。後編は、参加アーティストの取り組みを通してこのプロジェクトがケアとアートの現場にもたらしたものについて考察します。
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竹中香子――不確実性に即興的に対応する、ケアとアートの共通点
演劇と映像作品を制作する会社ハイドロブラストのプロデューサーで俳優、演劇教育も手がけている竹中香子さんは、2023年度の公募アーティストとして参加。竹中さんは2011年に渡仏、日本人として初めてフランスの国立高等演劇学校の俳優セクションに合格し、さまざまな舞台で活躍してきた人だ。
2017年から日本での活動も再開し、「演技を、自己表現のためではなく、他者を想像するためのツールとして扱うこと」をモットーとしてアート・プロジェクトの企画も行っていた。
そんな竹中さんが「クロスプレイ東松山」に応募した動機は、2022年に実父の死に立ち会い、それまでの10年間パーキンソン病の父に寄り添ってくれた訪問介護チームに感銘を受けたこと、改めて「ケア」について考察する中で、父の死にも向き合うためだった。
しかし、施設での滞在制作は一筋縄ではいかなかった。困惑する竹中さんを見守っていた武田さんは語る。
「フランスから帰国してお父様を自宅で看取った際に、介護士がどのようにケアするかご覧になっていたし、いろいろな書物を見て勉強もされていたんですけど、ご自身が介護の現場に行くのは初めてでした。楽らくでの滞在初日は置物のように固まってしまい、フランスに留学した時に経験した以上のアイデンティティ・クライシスを起こしたとおっしゃっていました」。
それまでの竹中さんは、対象への違和感を作品で表現して、それによって他者に嫌われることを恐れることはなかった。しかし介護現場では、心の底から目の前の人たちに好かれたいという欲求が湧いてきて、このままでは自分の作品から批評性が消えてしまうのではないかと危惧したという。
そこで、「介護実習生 竹中香子」という名札をつけたエプロンをかけ、介護職員という“役”を得て、入浴介助やレクリエーションなどのサポートを行った。そうした営みを通じて利用者と職員が見ている世界に触れることができ、ようやく関係性が生まれていく。
また、職員から「1日たりとも同じ日はないのよ」と言われたことから、「介護現場でも常に不確実なことに対応している」といった、演劇とケアの共通点を見つけるまでに至った。

滞在を終えて数ヶ月後、演劇作品「ケアと演技」を制作。2024年6月、YAU CENTER(東京都・有楽町)でハイドロブラストの作品として一般公演。その後2025年3月、楽らくにて、介護職員限定で演劇を上演し作品について話し合う「対話型鑑賞会」を、さらに翌4月には、同じ楽らくで誰でも鑑賞できる一般公演を開催した。

父を支えた訪問介護チームに圧倒されたこと、楽らくに滞在して介護職員の働きを目の当たりにしたことなど、経験から着想したエピソードが、ドキュメンタリーを交えた物語として役者によって演じられる。
白神さんとはまた異なる方向からケアについて考え、もやもや、ヒリヒリする問いかけも臆せず、かつ思いやりは忘れず描いていた。
例えば、父の危篤のシーンで介護士に「お父さんが好きだったブレンディのコーヒーの匂いを嗅がせてあげましょう」と言われた「わたし」(竹中さん)が心の中で、「それってイリュージョンじゃん」と半ば混乱するシーンが印象に残る。
その人の意識が戻るよう、香りに一縷の望みを託すのか。あるいは一生を終える瞬間までその人らしい尊厳ある生活を支援する看取り介護の一環か。
それは虚構的なふるまいにも思われるが、その虚構に仮託することで生者をも落ち着かせる、思えば不思議な知恵に気づかされた。

では介護職員の反応はどうだっただろうか。3月の楽らくでの「対話型鑑賞会」では上演後、アーツマネジメントを専門とする長津結一郎さん(九州大学 芸術工学研究員 准教授)がファシリテーターを務め、介護職員14人と感想などを話し合う時間がもたれた。
職員たちに感想を書いてもらった付箋をボードに貼り出すと、作品の評価というよりも、作品の場面から自身のこんな経験が思い出された、という感想が多かった。長津さんが感想を書いた本人に問いかけるうちに、自ずと誰かの話に誰かがうなずき、話した人を励ますようにまた誰かが話す、というように対話が続いたという。
武田さんによると「普段、介護職員はチームで動くから主語が“私たち”なんですが、その日は“私”として語り出していた」という。「昔施設にいた利用者さんのことを思い出したとか。自分の親の介護で後悔があって、今介護の仕事をしているんです、とか、仕事ではケアができるのに自分の親にはうまくできなかったとか、なかなか普段語れない自分の経験を涙ながらに語る方もいました」。
とりわけ、竹中さんの介護実習体験に基づく入浴介助のシーンに共感する人が多かった。厚着のお年寄りの衣服を、桃の薄皮を剥がしていくように、丁寧に一枚一枚脱がしていく介護職員。
その職員を信頼して身体を委ねる利用者の姿に「境界が溶け合うようで涙が出た」という劇中のセリフに、現場の職員たちもこみ上げる思いがあったようだ。「実際の入浴介助は時間が限られているので、戦場のようなんですけど、それでも優秀な介護職員さんたちって手際よく丁寧にその方に接するんです。そのためには想像力が必要で、アートにも根底で通じるんじゃないかなって。ケアってクリエイティブだなと現場を見ていて思います」と武田さん。

昨年のYAU CENTERでの初演時には、劇中竹中さん自身の役を、 共にカンパニーを運営する太田信吾さんが演じる姿を見ていた竹中さんは、かつての自分を客観的に振り返ることができた。あたかも鏡を見るように。
また、男性の太田さんが、女性に頼ることの多い介護現場の実状を心の隅に置きながら演じていたことで、竹中さん自身もケアされるような思いになった。
そこから約1年後の楽らくでの公演では、竹中さんはさらに距離を取って自身を見ることができ、「わたし」という役をすでに「他者」として俯瞰できた という。「ケアと演技」というタイトル通り、その人になりきれなくとも、想像力をもって人物に寄り添おうとする「演技」の技術は、ケアの技術として応用できるかもしれないのだ。

また、演劇を見る観客にとっても自身の経験を見つめ直す機会となり、見知らぬ人々と気持ちを分かち合うこともできた。車で来場した観客が楽らくで初めて会った観客を駅まで送り、車中で自身の介護のことを話し合ったとも聞いた。
武田さんは「人間の生と死の部分なので、みんなそれぞれに物語があることに改めて気づかされました。利用者さんそれぞれにも生きてきた物語があって、私たちはそれをなるべく尊重しながら接することがその人らしさを支えるケアなんじゃないか」と思いを新たにしたと話す。
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