2020.4.1
「二人目はいつ産むの?」という無責任な問いかけ
子育てにはお金が不可欠という現実
しかしだ。
子供は感情で産むものではないと思う。
産んで終わりではない。
親として育てる義務がある。
習い事も一切させず、すべて公立の学校に通わせる。
それだって、教材費はかかる。
これが、一人ではなく、二人、三人。
教材費・食費・部屋の数。
すべてが比例して増える。
公立ではなく、私立に行きたい。
海外に行きたい。留学したい。
なんて、言われた日にはどうだろう。
昔のドラマのテンプレで恐縮だが、
「あなたはお兄ちゃんのために我慢してね」
と、何人目かの子供か知らんが、それを親として言える覚悟があるのか。
きょうだいがいなくて可哀そう。
好きなことをやらせてあげられなくて可哀そう。
さて、どちらを親として選択するか。
もちろん子供がたくさんいるから、がんばって働く。お金を稼ぐ。という責任感をもって生きていくという選択もある。
ただ、一つだけ言えることは、
子育てには金が不可欠ということだ。
このご時世である。
経済はどうなるかわからない。
今の収入が将来永劫続くかもわからない。
この考えは、保守的といわれるかもしれない。
しかし、将来がどうなるかわからない時代に、産まれてくる子供の将来を考えてあげられるのは私たち、親だけなのである。
子供というものは、勝手にできるものではない。
寝て起きたら、いつのまにかできているものでもない。
二人の人間が、接合行為をしなければできないものである。
「うっかり……」
そんなことはありません。
そりゃ、避妊具に穴をあけられていたとか、そんなことがあれば別なのかもしれませんが、この時代の避妊具を正しく装着して、うっかりできたなんて話は私は聞いたことありませんよ。(あったらすいません)
「うっかり……」
なんていう人は、大抵、私たち夫婦のように避妊をしていない。
つまり、おのれの欲望のままに行為をしているだけ。
欲望の先に、妊娠・出産・子育てがあることを考えていない。
性行為は、楽しい。
私も若いころは溺れたものだ。
しかし、その快楽の先には、責任が伴うのである。
性行為の本番というのは、責任を見据えたうえで致す行為であり、まだ責任が負えないと思うのであれば、正しく避妊しなければならないのである。
当たり前だ。保健体育でちゃんと指導しなければならない。
「二人目は?きょうだいは?」
こんな無責任な質問に心を乱されるな。
うちの家計みて、二人いけると思って言ってるんですか?と返してやれ。
なぜ、その質問をするのか聞いてやれ。
大抵「え……きょうだいがいるのが当たり前。一人っ子はかわいそうじゃない」
という、そいつの主観からの無責任な質問だから。
国全体という大きな目で見れば、少子高齢化は喫緊の課題である。
子供は増えたほうがいい。
しかし、その子供にかかるお金の責任は、国はもってくれない。親である私たちにかかってくるのである。
お国のため、子供のため。
今の私達夫婦には、両方を選ぶ余裕はなかった。
富豪だったら、二人、三人産もうという気になったかもしれない。
選択肢がある方を否定する気はない。
むしろ羨ましいくらいだ。
今の自分の力量でできることを冷静に知るべきだ。
周りの言うこと、メディアが言うこと。
情報を取捨選択することは、自分にしかできないのだから。
あなたの選択を!