2019.6.23
あいみょん人気の裏にブッダあり? あいみょんから学ぶ仏教の極意「中道」
あいみょんの「ジャンル」を語りたいだとか
例えば、アーティストを語る際に切り口の一つとして散見されるのが、「系譜」。
「星野源は細野晴臣の系譜だ」だとか「フジファブリックはポスト・ユニコーン」だとか、下北沢の飲み屋でよく小耳にはさむアレのことだ。
明確な系図があるわけでもなく、本人が自称しているわけでもないが、ルーツや音楽性から、「○○の系譜」だとか「ポスト○○」だとか、アーティストをカテゴリ分けることで、なんらかの文脈を見出そうとするのである。
では、あいみょんは誰の系譜に当たるのだろうか?
女性シンガーソングライターでいえば、松任谷由実? 中島みゆき? ギターを持った若い女性と見れば、YUIやmiwaとか「ギター女子」? それとも、濃厚な恋事情を歌っている点では椎名林檎? はたまた恋愛の重量感でいえばaikoだろうか? でも音楽性でいえば近いのはスピッツかも? ただ、あいみょんは浜田省吾から影響受けてるって言ってるし。あれっ、でもあいみょんって女性だしな……??
目の前に積まれていく謎・謎・謎。
このように、あいみょんは誰の系譜なのか、依然として定まらないのである。
あいみょん自身も自分を明確にカテゴライズしないし、メディアも一定の文脈で語ろうとはしない。いや、語れないのだろう。
むしろ、そういったカテゴライズに対し、あいみょんはこのように話している。
(「ギター女子」に対して)なんかダサいじゃないですか? 「音楽」という括りに、またもう一個括りを作って……しかもそれを「なんとか女子」って、ダサくないですか? もちろん私も、ギターを持って歌っている女子なので、間違ってはいないんですけど、そういう括りには入りたくないというか。
出典:歌を歌うだけじゃない、新世代アイコン「あいみょん」を知る(CINRA.NET)
お分かりだろうか。
あいみょんは「カテゴライズ」という行為自体を否定しているのだ。
求めているのは「系譜」や「ジャンル」といった既存の枠組みから解放された自由な在り方。それは「あいみょん」という唯一無二な天上天下の唯我独尊であり、もはや「あいみょん」というジャンルでもあるのである。
「音楽はそれ以上でもそれ以下でもない。」
そうとでも言いたいように、あいみょんは、どこまでいっても、あいみょんなのだ。
制作のハードルが下がり、音楽が飽和している市場の中で、あいみょんの持つ「掴み所のなさ」が、聴く者に「居心地の悪い気持ちよさ」を与えている。それこそがヒットの理由なのではないかと、僕は考えている。
そして、そんな既存の価値観や枠組みから距離を置き、あるがままの生き方を「中道」と呼ぶ。ジャンルレスなあいみょんは中道を歩んでいる。中道的な朝だな〜♩