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二宮寿朗「1980年生まれ。戦い続けるアスリート」
不惑が間近に迫る年齢になりつつも、変わらず戦い続ける1980年生まれのアスリートたちに、スポーツライター二宮寿朗氏が迫るこの連載。サッカー中村憲剛選手、バスケットボール田臥勇太選手に続く、3人目のアスリートは、東京ヤクルトスワローズの館山昌平投手。初回は日大藤沢高校に進学するまで、2回目は怪物、松坂大輔との対決、3回目はサイドスロー転向時のエピソード、4回目は、全身に175針ある館山選手のケガとの闘いについてお伝えしました。
いよいよ最終回の今回は館山選手のいま、そしてこれからについて。必読です!

館山昌平は、ケガに直面するピッチャーの指標となり勇気づけるパイオニア

ひとりで練習している時間は苦にならない。むしろ好きだという。(撮影/熊谷貫)
ひとりで練習している時間は苦にならない。むしろ好きだという。(撮影/熊谷貫)

自分のケガや手術はプロ野球界のために「研究対象にしてほしい」思いもある

館山昌平は3月17日で38歳になる。

日大を卒業して、東京ヤクルトスワローズひと筋17年目。昨年のシーズンオフ、各スポーツ新聞に彼の契約更改が記事になっていた。
『減額制限を超える7400万円ダウンの2400万円でサイン』
記事には大幅なダウンにも球団に対する感謝を伝える館山の言葉が並んでいた。それは今季に懸ける強い意気込みにも思えた。

2015年に6勝を挙げてカムバック賞を獲得して以降、16年は1勝1ホールド、17年、18年は勝ち星を挙げられていない。ケガとの戦はずっと続いた。16年4月に右ヒジのクリーニング手術を受け、17年シーズン後にも右ヒジ、右肩を手術している。合計、手術の数は9回、175針にのぼった。しかしながら昨年1年は大きなケガがなく終わることができた。

前を向ける背景が、そこにあった。
「2013年の手術(2回目のトミー・ジョン手術)から始まった5回の手術が、僕のなかで全部クリアになったんです。肩、ひじ、股関節……自分のなかでチェックをして、画像上も動き的にも問題ない。すごく時間はかかってしまいましたけど」

16、17年の手術は医師に頼み込んで部分麻酔にしてもらい、患部がどういう状態なのか自分の目で確かめた。「全部クリアにするために」そこまでこだわった。

「大きな手術じゃなかったので、自分が痛いと言っている場所はどこか、可動域が出ない原因はどこにあるのかをしっかり把握しておきたかったんです。エコーで見て、どういうときに引っ掛かっているのか。自分の筋肉の構造、状態を確認できて非常に勉強になりました」

手術の際には理学療法士(PT)に同席してもらっている。一緒に確認してもらいたいという理由のみならず、これからのプロ野球界のために「研究対象にしてほしい」との思いもあったからだ。

そしてもうひとつ。

「全身麻酔にしたほうが手術中は楽ですけど、復帰するには部分麻酔のほうが早い。やっぱり早く戻りたいという気持ちがありますから」

マウンドで投げたい。その根本的な欲求が、彼を突き動かしている。

「優勝した15年のシーズンは、チームから登板間隔で後押ししてもらって、考慮してもらってやれたこと。でも僕の目標はそこじゃない。周りに迷惑を掛けず、周りと競いながら輝きたい。(ケガの)回数を重ねてきて、クリアな状態では投げられなくなっていた。

去年も結果を残せなかったシーズンでした。でも手術して1軍に戻ることができ、大きなケガをしなかった。アウトが取れなかったわけじゃなく、アウトも取れた。中継ぎだったら、勝ち星がついていたかもしれない。レベルは低いところからですけど、復帰までのプロセスを確立して、それを体現できたことは良かった」

その言葉には、力がこもった。

(次ページに続く)

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二宮寿朗

にのみや・としお●スポーツライター。1972年、愛媛県生まれ。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社し、格闘技、ラグビー、ボクシング、サッカーなどを担当。退社後、文藝春秋「Number」の編集者を経て独立。様々な現場取材で培った観察眼と対象に迫る確かな筆致には定評がある。著書に「松田直樹を忘れない」(三栄書房)、「サッカー日本代表勝つ準備」(実業之日本社、北條聡氏との共著)、「中村俊輔 サッカー覚書」(文藝春秋、共著)など。現在、スポーツ報知にて「週刊文蹴」(毎週金曜日)、Number WEBにて「サムライブル―の原材料」(不定期)を好評連載中。

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