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二宮寿朗「1980年生まれ。戦い続けるアスリート」
不惑が間近に迫る年齢になりつつも、変わらず戦い続ける1980年生まれのアスリートたちに、スポーツライター二宮寿朗氏が迫るこの連載。
中村憲剛選手田臥勇太選手館山昌平投手大黒将志選手玉田圭司選手に続く6人目のアスリートは、木村昇吾選手です。
初回は、クリケット選手として世界の最高峰を目指す現在とクリケットについてお伝えしました。2回目の今回は、プロ野球選手として、ベイスターズ、カープで歩んだ道のりについて――

カープ時代、超ユーティリティ選手だった木村昇吾。“なりたい自分”を目指すためのポジティブ思考の原点とは!?

バッツマン姿の木村選手。グラブ、レガース、ヘルメットと防具でしっかり体を守る。(撮影/熊谷貫)
バッツマン姿の木村選手。グラブ、レガース、ヘルメットと防具でしっかり体を守る。(撮影/熊谷貫)

小2時代に小6の試合で活躍! 夢は「10億円プレーヤーになる!」だった。

将来どんな自分になりたいか。

木村昇吾は明確にあった。いや、過去形にはしていない。小学校の卒業文集で誓ったことを“アラフォー”になってもずっと追い求めている。

「10億円プレーヤーになる!」

プロ野球界では1億円にすら届かなかったとしても、年間30億円を稼ぎ出すトッププレーヤーがいるクリケットの世界で達成すればいいだけのこと。

悲壮感は似合わない。
「何とかなるやろ」的な楽観と「何とかせなあかんやろ」的な反骨。この両輪を明るく回して彼はドラフト11巡目指名からプロ野球界の荒波をタフに15年間も乗り切ってきた。

むしろ少年時代からずっと彼は「木村昇吾」であり続けている。

「昔から僕を知っている人は言うんですよ。クリケットに挑戦すると伝えたら、『お前っぽいな』って。その“っぽいな”は、ちょっと悔しいですよね。だってこっちはあんたらの予想の上を行ったぞって思っていたのに」

目尻のシワが楽しそうに揺れる。豪快な笑いが彼にはよく似合う。

生まれも育ちも大阪。

「オヤジが巨人好き、オカンが高校野球のPL学園好き。特に桑田真澄さん」

野球家族にどっぷり浸かった木村少年は物心ついたときには、ボールを投げて壁に当てる「壁当て」ばかりやっていたという。好きこそ物の上手なれ。チームに入ったら、とにかく野球、野球、野球。物怖じという言葉は木村の辞書にはなく、小2なのに小6の試合に勝手についていったという。

「キャッチボールを6年の人とやって『お前、何年や?』と聞かれて『2年』って答えたらびっくりしていましたね。投げる距離も6年生と同じで全然平気やったんで、根拠のない自信は小さいころからありました」

投げれば三振、打てばホームラン。

根拠のない自信は次第に大きくなっていき、プロ野球選手になるのは当然だと思っていた。プロ野球の世界に入って、スターになることを信じて疑わなかった。

「小学校のとき、高槻ブラザーズというチームに成田くんという子がおったんですよ。身長182㎝あって、注目されていたんです。でも彼のボールも打てるし、投げたら抑えられるし、『まだ小さいけど、成長して成田くんくらいになったら“俺、間違いなく凄くなるな”と思っていました」

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二宮寿朗

にのみや・としお●スポーツライター。1972年、愛媛県生まれ。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社し、格闘技、ラグビー、ボクシング、サッカーなどを担当。退社後、文藝春秋「Number」の編集者を経て独立。様々な現場取材で培った観察眼と対象に迫る確かな筆致には定評がある。著書に「松田直樹を忘れない」(三栄書房)、「サッカー日本代表勝つ準備」(実業之日本社、北條聡氏との共著)、「中村俊輔 サッカー覚書」(文藝春秋、共著)など。現在、スポーツ報知にて「週刊文蹴」(毎週金曜日)、Number WEBにて「サムライブル―の原材料」(不定期)を好評連載中。

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