2019.5.12
リーマン・ショック&会いに行けるアイドルの台頭……。2010年代前半“停滞期”のレースクイーン界に起こったサバイバル大作戦とは?
全員が歴代レースクイーン大賞グランプリ受賞者の“伝説のユニット”
ドリフトエンジェルスで成功を収めた南香織さんは、これだけにとどまらなかった。
2015年、今度はSUPER GTの舞台で、ダンスヴォーカルユニットに着手する。依頼を受けたのは、2011年より続くレースクイーンユニット「D’Stationフレッシュエンジェルズ」のスポンサー、株式会社NEXUSから。パチンコホール事業「D’Station」の母体である。ふたたび、南さんの話。
「『SUPER GTで、No.1のユニットを作ってほしい』とオファーを受けまして。となれば、D1のドリフトエンジェルスで培ったノウハウを導入しようと。NEXUSさんのつながりで、強力な助っ人を呼んでもらえたんです」
その助っ人とは、数々の超有名なダンスパフォーマーを有する大手芸能事務所から派遣された振り付け師。ドリフトエンジェルスのシンプルで愛らしい踊りとは一線を画す、キレのある本格的なダンスとステップを指導するためにやってきた。このユニットに参加した佐崎さんは、懐かし気にこう語ってくれた。
「12年から15年までフレッシュエンジェルズにいたんですけど、最後の年にそんな話が来て。もうびっくりでした。わたしとしてはダンス経験がない上に、ハイレベルな振り付けをリクエストされたわけですからね。ごまかしも一切きかないし(笑)。しかも、SUPER GTの開幕戦までに間に合わせなきゃいけないので、毎日ヒィヒィ言いながら特訓を重ねてました。一緒だった清瀬まちちゃんもダンスは初心者だったから、個別でダンスレッスンに通ってて、すごく頑張ってましたね」
2015年のフレッシュエンジェルズ・メンバーは、今では“伝説の4人”と呼ばれるようになっている。理由は、2012年の佐崎さんと2014年の日野さん、2016年の清瀬さん、2018年の林紗久羅さんと、全員が歴代の日本レースクイーン大賞グランプリ受賞者だからだ。
ある意味、業界が “低迷”していた時期でも、決してあきらめなかったレースクイーンたち。その強さを、日野さんはこのように分析してくれた。
「わたしが活動しはじめた2010年代初めは、たしかにいろんなアイドルが出てきて、レースクイーン界全体は “止まっていた時代”だったかもしれません。でも、各サーキットでは、ファンとの間にロープが張られることはなく、近しい距離でやりとりができる環境がずっとありました。SNSもさかんになって、ファンの方からすれば私たちの素顔が見れるようになったし。サーキット自体は限定的なフィールドかもしれないけど、そのぶん、アットホームな空気が流れていて。レースクイーンの強みって、そこにあると思うんです」
一方で、佐崎さんはこう語る。
「わたしが大賞をいただいたころよりも、今はレースクイーン自体、いろんなタイプが登場してますよね。SNSのフォロワー数が圧倒的に多いインフルエンサーだったり、コスプレイヤーとして人気の子だったり、もちろん、サーキットで地道にファンを獲得している子だったり……。でも、わたしが10年守り続けているレースクイーン像は、ファンサービスもさることながら、スポンサー企業のイメージガールとして年間契約を結んでいる以上、その一環としてサーキットで活動している、ということ。それがブレなければ、流行りすたりに関係なく、レースクイーンは生き続けるんじゃないかと思います」
様々な仕掛けを作ってきた南さんは、サーキットでやるべきことはやり尽くしたとして、次のビジョンを見据えている。
「サーキットの外に出していきたいんです。要は、レースクイーンの積極的なアウトプットですよね。メディア露出もそうですし、一環として、去年から、アイドルフェスにレースクイーンを出場させてみたり。いろんな形で、世の中にどんどん認知させていきたいんです」
第三次黄金期を迎えつつある、レースクイーン業界。次の一手に注目したい。
(第6回につづく)
バナー写真提供/GALSPARADISE