2022.3.15
【佐藤賢一緊急特別寄稿】世界史から見るウクライナ情勢「ウクライナは引かない ロシアが引くしかない」
ウクライナのコサック
二〇一八年十月十一日には、コンスタンティノープル総主教がウクライナ正教会の独立を承認した。このとき当時のポロシェンコ大統領は、今日はロシアから最終的に独立した日だと、声を高くしたと伝えられる。
今二〇二二年二月、ロシア軍の侵攻で踏みにじられたのは、そうした全ての思いだった。
ウクライナ人が大人しく引き下がるわけがない。徹底抗戦に乗り出さないわけがない。これに恐らくロシアは勝てないだろう。おびただしい量の近代兵器を注ぎこんでも、勝てない。核兵器を使用しても、勝てない。もはや核兵器は決定的でないと、ロシア自身が示してしまった。軍がウクライナの原子力発電所を攻めることで、核爆発の脅しをかけたのだ。その原発はロシアにもある。それも国境から遠くない位置にある。ウクライナは通常兵器で、いくらでも報復できる。
つまるところ、この戦争はロシアが引かなければ終わらないと、私は思う。ウクライナ軍はゲリラ戦に移行しても戦い続ける。自分たちが勝つまで戦う。ロシア軍が引き上げるまで止めない。仮に負けても、遠からず立ち上がり、再びロシアの支配を除くために戦い始める。してみるとロシアは、最悪の相手を敵に回したといえそうなのだ。ウクライナといえば、もうひとつ、コサックの伝統を有する国だからだ。
十五世紀に現れると、二十世紀にいたるまで、世界最強の戦士集団と恐れられたコサック。脅威の身体能力で知られ、各国の戦場を縦横無尽に雄飛したコサック。誰かの支配に服することを潔しとせず、自立的な戦士共同体として暮らしたコサック。
それもいくつか系統があるが、最後まで独立不羈の気概で自治を貫いたのがザポロージャ・コサック、つまりは原発を攻撃されたあのザポロージャを拠点にしていた、ウクライナのコサックなのだ。ウクライナは国を失ったといったが、実をいえば十七世紀から十八世紀にかけた時期に一度、コサック国家として独立を果たしていたのだ。
このコサックだが、いざ戦争となると、男たちは、女、子供、老人を安全な場所に逃し、あとは当たり前の顔をして戦場に出ていった。その伝統、その文化、その価値観は、今もウクライナに受け継がれているように思われる。十八歳から六十歳の全ての男子に動員が発せられても、ウクライナの男たちは特に動ぜず、疑問を抱いた様子もなく、ただ粛々として応じたからだ。ならば、ロシア軍は勝てない。コサックには勝てない。
十九世紀、フランス皇帝ナポレオンはロシアに遠征したが、そこで冬将軍に敗れた。焦土作戦を取るロシア軍は戦わず、吹雪のなかを後退するばかりだった。が、それだから、ロシア軍など恐れなかった。「大陸軍」と呼ばれたフランス軍が、唯一震え上がったのは、ロシア皇帝と契約していたコサックだった。これは勝てないと、フランス軍は逃げた。ゲリラ戦、白兵戦、肉弾戦に移行するほど、もう勝ちようがないと。
それは今も同じだろう。ロシアは最悪の相手を敵に回した。やはりロシアが引くしかない。
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