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【佐藤賢一緊急特別寄稿】世界史から見るウクライナ情勢「ウクライナは引かない ロシアが引くしかない」

ウクライナのコサック

オスマン帝国のスルタンへ手紙を書くザポロージャ・コサック(イリヤ・レービン画/1880年)
オスマン帝国のスルタンへ手紙を書くザポロージャ・コサック(イリヤ・レービン画/1880年)

 二〇一八年十月十一日には、コンスタンティノープル総主教がウクライナ正教会の独立を承認した。このとき当時のポロシェンコ大統領は、今日はロシアから最終的に独立した日だと、声を高くしたと伝えられる。
 今二〇二二年二月、ロシア軍の侵攻で踏みにじられたのは、そうした全ての思いだった。
 ウクライナ人が大人しく引き下がるわけがない。徹底抗戦に乗り出さないわけがない。これに恐らくロシアは勝てないだろう。おびただしい量の近代兵器を注ぎこんでも、勝てない。核兵器を使用しても、勝てない。もはや核兵器は決定的でないと、ロシア自身が示してしまった。軍がウクライナの原子力発電所を攻めることで、核爆発の脅しをかけたのだ。その原発はロシアにもある。それも国境から遠くない位置にある。ウクライナは通常兵器で、いくらでも報復できる。
 つまるところ、この戦争はロシアが引かなければ終わらないと、私は思う。ウクライナ軍はゲリラ戦に移行しても戦い続ける。自分たちが勝つまで戦う。ロシア軍が引き上げるまで止めない。仮に負けても、遠からず立ち上がり、再びロシアの支配を除くために戦い始める。してみるとロシアは、最悪の相手を敵に回したといえそうなのだ。ウクライナといえば、もうひとつ、コサックの伝統を有する国だからだ。
 十五世紀に現れると、二十世紀にいたるまで、世界最強の戦士集団と恐れられたコサック。脅威の身体能力で知られ、各国の戦場を縦横無尽に雄飛したコサック。誰かの支配に服することを潔しとせず、自立的な戦士共同体として暮らしたコサック。
 それもいくつか系統があるが、最後まで独立不羈の気概で自治を貫いたのがザポロージャ・コサック、つまりは原発を攻撃されたあのザポロージャを拠点にしていた、ウクライナのコサックなのだ。ウクライナは国を失ったといったが、実をいえば十七世紀から十八世紀にかけた時期に一度、コサック国家として独立を果たしていたのだ。
 このコサックだが、いざ戦争となると、男たちは、女、子供、老人を安全な場所に逃し、あとは当たり前の顔をして戦場に出ていった。その伝統、その文化、その価値観は、今もウクライナに受け継がれているように思われる。十八歳から六十歳の全ての男子に動員が発せられても、ウクライナの男たちは特に動ぜず、疑問を抱いた様子もなく、ただ粛々として応じたからだ。ならば、ロシア軍は勝てない。コサックには勝てない。
 十九世紀、フランス皇帝ナポレオンはロシアに遠征したが、そこで冬将軍に敗れた。焦土作戦を取るロシア軍は戦わず、吹雪のなかを後退するばかりだった。が、それだから、ロシア軍など恐れなかった。「大陸軍」と呼ばれたフランス軍が、唯一震え上がったのは、ロシア皇帝と契約していたコサックだった。これは勝てないと、フランス軍は逃げた。ゲリラ戦、白兵戦、肉弾戦に移行するほど、もう勝ちようがないと。
 それは今も同じだろう。ロシアは最悪の相手を敵に回した。やはりロシアが引くしかない。

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新刊紹介

佐藤賢一

1968年山形県鶴岡市生まれ。山形大学教育学部卒業。東北大学大学院文学研究科フランス文学専攻博士課程単位取得満期退学。
1993年『ジャガーになった男』で第6回小説すばる新人賞受賞。99年『王妃の離婚』(集英社)で第121回直木賞受賞。2014年『小説フランス革命』(集英社)で第68回毎日出版文化賞特別賞受賞。2020年『ナポレオン』(集英社)で第24回司馬遼太郎賞受賞。主にヨーロッパ史を題材とした歴史小説を多く手掛けているが、近年は日本、アメリカを舞台とした作品も発表し舞台化されたりなど話題となる。日本語のみならず、フランス語などの外国語文献にもあたり蓄積した膨大な歴史的知識がベースの小説、ノンフィクションともに評価が高い。
著書に下記などがある。
<小説>
『傭兵ピエール』『双頭の鷲』『カルチェ・ラタン』『オクシタニア』『黒い悪魔』『褐色の文豪』『ハンニバル戦争』『ナポレオン』『女信長』『新徴組』『日蓮』『最終飛行』ほか。
<ノンフィクション>
『英仏百年戦争』『カペー朝』『テンプル騎士団』『ドゥ・ゴール』『ブルボン朝』ほか。
<漫画原作>
『傭兵ピエール』『かの名はポンパドール』

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