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【佐藤賢一緊急特別寄稿】世界史から見るウクライナ情勢「ウクライナは引かない ロシアが引くしかない」

ウクライナの誇りが、ロシアに負けることなど断じて許さない

 やはり難しい問題である。
 が、ロシアがつけこむことができるのは、クリミア半島と東部の二州だけなはずだ。ウクライナ全土に対して、侵攻作戦を実行するなど、いかなる論理をもってしても正当化できない。いや、力の論理で正当化すればよいというのが、ロシア大統領プーチンの考え方なのだろうが、まさしく正気の沙汰でない。さらにいえば、うまくいくはずもない。私が思うに、ウクライナはロシアの軍門には下らない。最後まで戦い続けて、絶対に譲らない。ウクライナの誇りが、ロシアに負けることなど断じて許さないからだ。
 第一にウクライナには、ロシアの下風に立たされて、やむなしとする諦念はない。あるとすれば、むしろ我こそ本流、我こそ主筋なのだという自負のほうだ。プーチンは「ウクライナとロシアは兄弟国家」といったそうだが、その場合もウクライナが兄、ロシアが弟と考えるのだ。
 それは歴史に培われた誇りである。
 ウクライナが自らをもって、誰に付属するでも、誰に従属するでもない、オリジナルな国と任じているのは、かつてキエフ大公国があったからだ。成立は八八二年と、非常に古い。他方のロシアはモスクワ大公国から発展したものだが、九世紀にはまだモスクワの地名すらなかった。前身のモスクワ公家の成立が、ようやく十三世紀のことだが、それもキエフ大公家の分家の分家にすぎなかった。
 さらにいえば、キエフ大公国は九八八年、ヴォロディーミル大公のときに、キリスト教を国教に定めている。それは広義のロシア、あるいはルーシのなかで初めてのキリスト教国であり、つまりは文化的にもモスクワ大公国とは比べられない先進性を誇っていた。
 キエフとモスクワの立場が逆転したとすれば、その端緒は十三世紀に求められる。モスクワが強くなったわけではない。アジアからモンゴル帝国が攻めてきたのだ。南のキエフ大公国は当時から穀倉地帯だったが、その豊かさゆえに徹底的な破壊と収奪に曝されて、一挙に滅亡寸前にまで追いこまれた。モスクワ大公国のほうは北方の僻地、雪と氷ばかりの貧しい土地であり、モンゴル軍も攻めこみはしたものの、忠誠だけ誓わせると、さっさと引き上げてしまった。つまりは被害が少なくて済んだのだ。

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佐藤賢一

1968年山形県鶴岡市生まれ。山形大学教育学部卒業。東北大学大学院文学研究科フランス文学専攻博士課程単位取得満期退学。
1993年『ジャガーになった男』で第6回小説すばる新人賞受賞。99年『王妃の離婚』(集英社)で第121回直木賞受賞。2014年『小説フランス革命』(集英社)で第68回毎日出版文化賞特別賞受賞。2020年『ナポレオン』(集英社)で第24回司馬遼太郎賞受賞。主にヨーロッパ史を題材とした歴史小説を多く手掛けているが、近年は日本、アメリカを舞台とした作品も発表し舞台化されたりなど話題となる。日本語のみならず、フランス語などの外国語文献にもあたり蓄積した膨大な歴史的知識がベースの小説、ノンフィクションともに評価が高い。
著書に下記などがある。
<小説>
『傭兵ピエール』『双頭の鷲』『カルチェ・ラタン』『オクシタニア』『黒い悪魔』『褐色の文豪』『ハンニバル戦争』『ナポレオン』『女信長』『新徴組』『日蓮』『最終飛行』ほか。
<ノンフィクション>
『英仏百年戦争』『カペー朝』『テンプル騎士団』『ドゥ・ゴール』『ブルボン朝』ほか。
<漫画原作>
『傭兵ピエール』『かの名はポンパドール』

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