2022.9.19
マウンテンバイク、音楽、カフェ……趣味を束ねて、楽しく生きていく達人とは?
趣味に生きる!
日本一という目標を達成しワークスチームのメカニックの職を辞した冨田さんが、セカンドキャリアとしてマウンテンバイクのプロショップを開いた……という取材前の予想は裏切られました。ここからが冨田さんの「ライフスタイル」の本番でした。冨田さんは、バイクのワークスチームのメカニックとして日本一を経験したことをキッカケに、チームを離れます。他のチームに移籍したのかというと、そうではありません。
ウィンドサーフィンのインストラクターであった彼女(現在の奥さま)が、本格的に学ぶためにオーストラリアに1年留学しており、1週間のつもりで遊びに行ったら、そのまま半年間、現地に居着いてしまいました。何をやっていたのかというと、毎日サーフィン三昧です。そこで、現地の人にサーフィンを教わりつつ、カフェ文化に触れていくうちに、「こういうお店をやりたい」と思うようになったそうです。
「メカニックを辞めていくつか職についていたけど、なんかしっくり来なくて。その頃、妻がウィンドサーフィンのインストラクターやっていたんですよ。西オーストラリアのランセリンという、世界中のウィンドサーファーが集まるメッカみたいな街があって。1年間、ウィンドサーフィン修業に行ったんで、後から自分も行ってみようと思って、一週間と思ったら、楽しくなってズルズル半年間。サーファーの友だちもできて。そうなると、強制的に朝起こされて海に連れて行かれて、朝夕ひたすらサーフィン。そこでオーストラリアでカフェの文化を見て、それをやりたいなと。妻はイギリスが好きで、従兄弟もイギリスにいて、よくロンドンとかに行っていて、アフタヌーンティーの文化にも憧れがあって、自分もやりたいなと」
早速、帰国後に三宮駅前にカフェを開店します。実は冨田さんは、高校生時代からブラックミュージック好きで、メカニックとして活動しているときもオフシーズンにはDJとして活動をしていました。カフェを開店してほどなく、冨田さんは三ノ宮を拠点にDJイベントを開催していくようになります。
「23年前だったかな、カフェをオープンしたんですよ。それはなんでかというと、バイクも好きだったけど、子供の頃から音楽もめちゃくちゃ好きで。DJをやっていたから、インテリアもファッションも好きで、自分が作った空間で音楽をやりたくて」
当時はR&B、ヒップホップが日本に紹介された黎明期です。毎週のようにイベントを開催しているうちに自前のハコが欲しくなり、二軒目のクラブの経営も手掛けました。このライブハウスは国外の有名アーティストがシークレットライブを開催するなど、知る人ぞ知るお店にまで成長したそうです。その頃、通勤にマウンテンバイクを利用しており、頭の片隅に常に自転車のことがありました。この時、冨田さんは脂の乗った30代。昼間は夏にサーフィン、冬にはスキー・スノーボードを楽しみ、夜はライブハウス経営者としてバーに立ち、時にはDJとしてターンテーブルを回すという、楽しい生活を送っていました。
神戸にマウンテンバイクショップを開く
このカフェ・クラブ経営を手掛けて10年ほどの間、通勤で自転車には乗っていたものの、本格的なマウンテンバイクからは離れていました。その自転車熱が再燃したのが、子供と一緒に裏山に散歩に行ったときのことでした。
「子供と裏山に散歩に行ったら、林道にタイヤの跡がついているのを見つけて。そうしたら、うわぁあって気持ちが盛り上がってきて。ここを自分も自転車で下りたいって。子供と遊びに行っているのに、ここはこう下れるな、とか考え始めて。やっぱ自転車をやろうって、40手前で復活(笑)」
冨田さんが40歳を迎えるこのタイミングで、一軒目のカフェがビルの取り壊しで閉店となってしまいました。クラブ経営を続けながらどうするかと考えていたところ、入居していたマンションの一階の店舗に空きが出て、大家さんに「なにかお店をやらないか?」と声をかけられました。場所は閑静な住宅街の中で、三宮駅前のような客層は期待できません。常々頭の片隅にあった自転車を仕事にしてみようと、国産メーカーの自転車を取り扱うレンタル自転車と奥さまの焼く本場仕込みのスコーンとアフタヌーンティーを提供するカフェの併設店SPARKを開店しました。
実は神戸市は市街地と六甲山脈が接近した坂の街で、自転車に乗っている人そのものが少ないのです。普通に考えて、レンタル自転車屋が儲かるはずがない。実際、開業前に相談した同業者の方には、「止めておいたほうが良い。儲からない」と忠告されることがほとんどだったそうです。
とはいえ、需要というのはどういう形で発見されて、生み出されるか解りません。
六甲山脈には縦横無尽に林道が走っています。当然、その林道を走っているマウンテンバイクのユーザがいます。冨田さんもマウンテンバイクツアーを企画して楽しんでいるうちに、お店には自然と仲間が集まるようになってきました。そうすると、もともと凄腕のメカニックで自転車の整備もお手の物の冨田さんに、マウンテンバイクの購入相談が持ち込まれるようになり、ついには「ここでも買えないか?」と頼まれているうちに、海外メーカーのマウンテンバイクの輸入代理とメンテナンスを手掛けていくようになったのです。
ちょうどこの頃、お店の立ち上げ当初はクラブ経営も並行していましたが、子供が小学校に通うようになり夜職を続けるのが難しくなり始めた時期でした。SPARKが子供の通う小学校と近いということもあり、丁度よいタイミングだということでクラブを閉店し、現在のライフスタイルに変わったのだそうです。