2022.8.15
同人誌の世界は「そこそこ起業」? 推しエコノミーの本質とは何か
推しエコノミーの本質を考え直そう
2021年に『推しエコノミー:「仮想一等地」が変えるエンタメの未来』という書籍が発売され、話題を呼びました。近年の若者がコンテンツ消費に関わる感情を「推し」という概念から捉え、我が国発のコンテンツ市場を「オタク経済圏」として提示するという、非常に興味深い論考であったと思います。
一見すると、Mさんの創作活動は、「推し」によって支えられていると言えるかもしれません。しかし、最近流行りの「推しエコノミー」という言葉には、どうしても「推し」という感情を手がかりに、作品やグッズをできるだけたくさん売り、稼いでいこうという「商業側の論理」が見え隠れしています。それに対して、Mさんから伺った、コミックマーケットや作家支援型コンテンツプラットフォームの実態は、「推しエコノミー」という言葉に還元してはならないように思えます。
それは何なのかを考えていくうちに思い出したのが、Eikhof達の論文です。
Eikhof, D. R., & Haunschild, A. (2006). Lifestyle meets market: Bohemian entrepreneurs in creative industries. Creativity and innovation management, 15(3), 234-241.
この論文では、劇団に所属する俳優、演出家、脚本家をライフスタイル企業家として分析していきます。演劇界という強力な文化にどっぷりと漬かっているからこそ、人々は演劇人として生きていくために起業するという動機を獲得します。他方で、演劇自体がスポンサーの支援によって成り立つ商業活動であるため、演劇人たちがやりたい舞台の芸術性との対立が生まれてしまいます。その対立の中で商業性と作家性に折り合いをつけたり、創造的に解決していくことで、演劇人としてのアイデンティティとして確立していくのだ、というのがEikhofらの分析です。いわば、商業性を超克した先に、起業という手段によって支えられている文化的なコミュニティが形作られるというのが、Eikhofらの議論になります。
ところが、Mさんが語る日本の同人誌の世界は、商業性との対立から軽やかに解放されているように思えます。これは、日本の同人誌市場が、造り手側と消費者側が明確に区別されておらず、仲間同士で創作活動を支え、作品を分かち合い、楽しんでいくという「頒布」という文化に支えられたコミュニティが存在しているからです。作家支援プラットフォームの利用者も、会員になって「推し」が提供してくれる作品を消費しているのではなく、「推し」の創作活動を支援することで、自身も制作プロセスに参加し、喜びを分かち合うという考え方が根底にあるのではないでしょうか。
いわば、参加者皆が幸福の拡大を目指し、誰もが造り手を目指し、彼らを支えていくことを善とするのが、同人誌という世界です。私達は、こんな奇跡のようなコミュニティが日本にあることに、改めて注目せねばならないと思います。
連載第7回は9/19(月)公開予定です。