2022.3.21
流しの大工だった父親が教えてくれた、あえて会社を持たない生き方

企業家になるのって幸せですか?
私が大学の授業でベンチャービジネス論と題する講義を続けて、今年で20年目になります。企業家研究という研究領域がまだこの国で認知されていない頃からの研究を振り返ると、学生たちがベンチャー企業を就職先に選んだり、事業計画を持ってきて相談に来たり、その中の何人かは実際に起業したりして、時代は変わったのだなと感じています。
昨年も、都知事がぶち上げた東京発ユニコーン企業の創出を目指して、大学発ベンチャーや学生ベンチャーを増やすためにどうしたら良いのかと、都の職員から相談を受けたりもしました。この大学からザッカーバーグを生み出したいのであれば、早稲田大学や筑波大学がやっているみたいにインキュベーション施設とファンド持つべきだ等、どこにでもある当たり前のアドバイスをしつつ、「はて?」と考え込みました。
そんな形で学生やOBを無理やり起業に駆り立てて、果たしてそれは幸せなんだろうか?
この20年間、調査として様々な分野で活躍する企業家にインタビューをして、論文や本を発表してきました。その中で、私がずっと書いてこなかったことがあります。革新的な製品やサービス、ビジネスモデルの提供といった派手な話題の影に隠された、創業初期の資金繰りをめぐる困難や、会社が大きくなっていく中でいろいろなステークホルダーとの調整に翻弄され、起業した頃の情熱や夢を忘れていく姿です。
サラ金からお金を借りて、そのお金で借金を返していくという自転車操業を乗り越えた方が何人もいました。会社が大きくなり黒字化しても、お金にまつわる苦労は終わりません。行政からの補助金獲得のための資料作りに、出資を求めてのVC(ベンチャーキャピタル)行脚。上手くいって資金を獲得すると、今度は行政組織やVCが出資者の立場からいろいろ横槍を入れてきて、最悪の場合はせっかく作った会社を乗っ取られたりする。起業したての頃に胸に抱いた、あのキラキラした夢や希望はどこへ?
そもそも、企業家になることって、幸せに人生を送る方法なんでしょうか?
「会社にすると苦労が多いし、面白くないんじゃ」
そんな事を考えている時にふと思い出したのが、もう25年ほど前に亡くなった私の父親のことです。父親は大工だったのですが、大工道具一式を抱えて、どこからか仕事をもらってきては家を建てる流しの職人でした。
腕と才覚のある大工さんは、会社を立ち上げて従業員を雇いたくさん仕事が受けられる状態を作るものなのですが、私の父親は流しの職人で人生を終えました。職人としての腕は良かったようで生前は仕事が途切ることはほとんどありませんでしたし、死後数年間、父の死を知らなかったお客さんから仕事の依頼が届いたと母親から聞いています。それこそ、会社を立ち上げて弟子を従業員として雇っていけば、楽にもっと稼げたはずなのに、父親はその道を選びませんでした。
「会社にすると苦労が多いし、面白くないんじゃ」
私が中学生になった頃、父親はそう言いました。当時はその真意がわからなかったのですが、今となっては、父親の言いたいことがよくわかります。
父親は、家を建てるという仕事が大好きでした。でも、大工的には建てて面白い家と、面白くない家がある。従業員を抱えると、彼らを食わせるために面白い仕事を優先的に選んだりすることができない。だったら、会社なんか持たないほうがいい。
また父親は、釣りが大好きでした。天気が良い日は仕事をお休みにして、私を連れて釣りに行ったりしていました。これも、自分一人で可能なペースで仕事を受けていたからできることです。従業員を抱えて、彼らの給与を維持するためにいっぱい仕事を受けて、それで子供と大好きな釣りが出来なくなるくらいなら、会社なんか作らない方が良い。死ぬ直前まで好きな家を建てて、暖かくなったらアマゴを釣りに行こうと私と話しながら、仕事と趣味を満喫して父親は息を引き取りました。経営者としては失格かもしれません。それでも、一人の男の人生として考えると、幸せな一生だったのではないでしょうか。