2020.9.9
ディズニーランドと優しい噓
先日、私がいつものように対人関係に思い悩んでいたら、知り合いの方から「その人とは3ヶ月会ってない?」と聞かれ、「はい。それどころか全く。」と答えました。
そしたら、「3ヶ月会ってなくても、川村の人生大丈夫でしょ? その人はお前の人生になんの影響も与えない人なんだから、気にすることないんだよ。美味しいお酒飲もうよ! その方が有意義だよ!」とアドバイスを頂きました。
「そうですよね。」と答えたものの、全く「そうですよね。」と思えず、ズルズルズルズルと日が過ぎています。
思い返せば、私の40年の日々は、「あの時なんであんなこと言ってしまったのだろう。」「なんであんなこと言われなきゃいけないんだろう。」「言ってないことをなんで言ったみたくなってるんだろう。」「あの人のあの言葉の意図はなんだろう。」「まぁ、根本が違うからなぁ。」「落ち込むなぁ。」そんなことのオンパレードです。ズラズラと「エレクトリカルパレード」の曲に合わせて、言葉と情景が気持ちとは裏腹にテケテケピカピカと行進する絵が浮かんで来ます。
その一番始めの一つに、初めてのディズニーランドがあります。
ディズニーランドが出来たばかりの頃、母が弟と私を連れて行ってくれたことがありました。親戚家族も一緒でした。
幼稚園生だった私に母は「明日は幼稚園お休みだから、ディズニーランドに行こう!」と言ってくれました。
いざディズニーランドでは、移動中の、人だかりのいないミッキーに運良く遭遇。
家では6Pチーズの1Pくらいの大きさの車に乗ったミッキーやドナルドを、大きめのボウルを裏っ返しにした大きさくらいのお山の頂上の部分からグルグルしたレールに乗せて走らせるオモチャで遊んでいたもので、ディズニーランドにいるミッキーがまさか大人くらいの大きさだとは夢にも思いませんでした。その巨大さに弟はギャン泣き、私はというと、表情が変わらないのに明らかなる人間の動きをしているミッキーに一瞬恐怖を感じ、後退り、「笑顔のままで近付いて来て、ミッキーじゃないことはわかってる! 本当は人間のくせに!」と心に一瞬でえみこバリアをシュワンと張りつつ、動きを観察。
ミッキーが得意の両手を広げる「おいで」ポーズで独特のコミカルな揺れと共にちょっとずつ近づいてくれて、母は言います。
「ほら、ミッキーに近づいてごらん。」
かわいい顔なのは確か。念願のミッキーに近づけるチャンス!とも思った私は、半歩くらいずつゆっくりと近づいて、ほんのちょびっと首をクイっと前に動かし、ミッキーに会釈をしました。
全く上手には笑えてなかったかと思います。
弟は変わらずギャン泣きして、母は「びっくりしたね!」と言いながら笑ってました。
ミッキーマウスタイムとみんな笑顔で嘘みたいに楽しい時間、帰宅して靴を脱いだら足が初めてのふわふわした感覚になって、たくさん歩くとこうなるんだ!とびっくりした初めてのディズニーランドの思い出。
「めでたし。めでたし。」でしたが、そこからです。