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第2回 親密さゆえにエスカレート!? 夫婦げんかの応酬

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「あんたより大学のレベル高いやん」

ここでの二人の論点は子どもの友だち作りに関してのものである。(1〜9)までは、互いに自分の経験を基に相手を説得することを目的とする闊達なやりとりが行われている。千夏は修平の「地元の友だちが一番」という主張に対し(千夏3、5、7)で割り込み発話を行なっており、自分の反対意見を早く表明して修平の主張をやりこめようとする白熱したやりとりが展開していることがわかるだろう。

二人とも、子どもにとってベストな選択をするために議論をしていたはずだ。しかし、「私立でも自分のように友だちはできる」という千夏の主張(千夏9)に対する「お前地元の友だちおらんやん」(修平10)という発話がきっかけとなり、それまでの「議論」が、相手の能力を否定し合う「感情的な攻撃」へと変わっていく。

修平にとって問題は、「地元に友だちがいるかどうか」である。だから、「でもお前地元の友だちおらんやん」という発話ではおそらく、「地元の」の部分を主張することが意図されていたはずだ。しかし、修平の「地元の友だち至上主義」を知っている千夏には、修平が「千夏には本当の友だちはいない」と主張しているように感じられたのかもしれない。

次の(千夏11)「でもあんたより大学のレベル高いやん」は間髪入れず発せられている。友だちの話題で自分を否定されたかのように感じた千夏は、返す刀で私立に行った自分は修平よりも「高いレベル」の大学に進学した、と修平の「痛いところ」を突くのである。(修平10)の「でも〜」に対し(千夏11)が「でも〜」と同じ構文で返していることには、自分が受けた攻撃を同等に返しているだけという態度が込められているのかもしれない。

千夏のこの発話は攻撃的ではあるが、口調自体にあまり変化はなく、話題も「友だち」から「進学」に変わってはいるが、まだ「子どもを通わせるなら私立か公立か」という本質的な議論の中にとどまってはいる。

夫婦げんかはエスカレートしやすい

しかしこれを受けた修平は、わずかな一拍の後、声を荒げて「お前結局事務やんけ、営業職行ってばりばり働いてみろや」(修平12)と千夏の仕事を見下して働き方を非難し、攻撃し返している。自分より「高いレベル」の大学を卒業していようと、働く上でそれが役に立っていないと言いたいのだろう。これはもはや「私立か公立か」という問題ではなく千夏個人への攻撃である。これが発せられた口調も考え合わせると、この発話の攻撃性はかなり高いはずだ。

感情的対立はしばしばエスカレートするといわれている。一旦相手から攻撃されて腹立たしさや憤りをおぼえると、互いに相手にそれ以上のダメージを与えようと意図的に報復を行うのだ。怒りの表明は友人よりも恋人に対して行われやすいことが多くの研究で指摘されており、儀礼的な配慮が必要ない夫婦間であればなおさら、対立は攻撃的になりがちだ。

だから、修平に「お前結局事務やんけ」と荒げた口調で罵られた千夏は、次にもっとひどい報復に出てもおかしくない。しかし実際には、(千夏13)は「あたしは女やから事務で行ってんやん、それはあたしの選択の問題」と、「女」であることを主張して対等な対立の場から降りる。千夏個人の能力や努力の問題ではなく、女性という性別のために自ら「ばりばり働く」という選択をしなかったのだ、という理由づけを行い、修平に傷つけられたアイデンティティを回復させるにとどめているといえるだろう。

なぜ、エスカレートしがちな夫婦げんかのこの場面で、修平から仕事をけなされた千夏は「仕返し」としてさらなる攻撃を行わなかったのだろうか。

「急所」を攻撃しつつバランスを取った妻

答えはおそらく、読者のみなさんの想像どおり、「修平を怒らせすぎた」からだろう。とはいえ多分、千夏は怒った夫を恐れたのではない(実は千夏と私は友人だが、そういうタイプではない)。コミュニケーションのバランスの観点から考えると、学歴に対して自分が修平に与えたダメージが、自分が負ったダメージより大きいと感じたからだ。

会話を研究する中である程度長いやりとりを見ていると、多くの場合、コミュニケーションはさまざまな「バランス」で成り立っていることがわかる。たとえば、相手からほめられれば、自分も相手を肯定するようなことを言ったり、謙遜したりする。反対に何か否定された場合は後からちょっといやみを交えたり、自分自身で言い訳をしたりする。要は、どちらか一方にプラス、あるいはマイナスの効果が偏ってしまわないよう、意識的・無意識的に双方がバランスをとって調整される傾向があるのだ。

人から攻撃されたときにバランスをとる方法は2種類ある。相手にも同等あるいはそれ以上のダメージを与えようと攻撃し返す方法、もしくは自分で自分の傷に絆創膏を貼るように、ダメージを回復させる方法である。両者のダメージの累計が同等になるよう調整されるのである。

怒りや憤りといった負の感情が高まって対立がエスカレートする場面では、しばしば前者の方略がとられる。千夏がこれを途中で放棄したのは、(修平12)「お前事務やんけ」という発話における修平の怒りの大きさから、自分のおこなった「大学のレベル」攻撃が、修平にどれほど大きなダメージを与えたかを感じとったからだろう。ダメージの累計が、自分が受けたものをはるかに上回っていることに気づいたのである。

そのため、千夏は修平に対するさらなる攻撃を避け、後者の方略によって自分の傷を修復するにとどめて、それ以上のバランスの不均衡を招かないようにしたのだと考えられる。

千夏が「女」であることを「バリバリ働かない」理由として挙げていることから、この夫婦は昔ながらの男女の役割意識を共有していると思われる。そうであるならばおそらく、妻の方が自分よりも「高いレベル」の大学を出ているという事実は修平のプライドを傷つける急所だろうし、ましてや当の妻から言われるとなるとなおさらだっただろう。夫婦であっても、いや、むしろ夫婦だからこそ、踏み込まれたくない領域は存在する。

この話題を続ける気にもなれなかったのか、修平もそれ以上はやり返さず、長い沈黙とフィラーを互いに繰り返し、気まずい雰囲気のまま会話は終わるのである。

どうせバランスをとるなら…

気を遣わずに何でも言い合える関係は素敵だが、夫婦だから何を言っても良いと考えるのは間違いだし、それで相手が傷つかないと考えるも間違いだ。

たとえ夫婦であろうと互いに感情をぶつけ合っていては、二人の日常は怒りと攻撃、そしてそれに対する報復で満たされてしまう。「親しき仲にも礼儀あり」という慣用表現から学ぶならば、「最も親しい仲」には最も慎重に取り扱うべき「礼儀」が存在する、といえるかもしれない。

繰り返すが、コミュニケーションはバランスで成り立っている。だから、人に対してマイナスの働きかけをすれば、相手からも同じようにマイナスの働きかけが返ってくる。「攻撃と報復」というマイナス方向のバランスの取り方では、お互いに斬りつけ合って結局共倒れ、という負のスパイラルに陥ってしまうのだ。

だから、どうせコミュニケーションではバランスがとられるのなら、プラス方向でのバランスを取ることを目指したい。私たちは傲慢な生き物で、「あって当たり前」の思いやりや気遣いにはなかなか気づけず、気に食わないことの方を敏感に察知するようにできている。

しかし、マイナスの働きかけはマイナスで、プラスの働きかけはプラスで返ってくるのがコミュニケーションである。そうであるならば、まずはあなたから意識的にプラスの一歩を踏み出して、普段親しすぎてつい礼儀を欠いてしまう相手とのコミュニケーションに、最初の「不均衡」の波を起こしてみてはどうだろうか。

***

夫婦げんかは命がけ(漫画/田房永子)

次回は7月22日(火)公開予定です。

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大塚生子

おおつか・せいこ
大阪工業大学工学部准教授。専門は社会言語学、語用論。実際に交わされたコミュニケーションをもとに、ことばがどのように人間関係を築いていくかを分析。主な論文は、「ママ友の対立場面におけるイン/ポライトネス分析―感情と品行のフェイスワーク」。編著に、『イン/ポライトネス研究の新たな地平: 批判的社会言語学の広がり』(三元社)、『イン/ポライトネス―からまる善意と悪意』(ひつじ書房)など。

田房永子

たぶさ・えいこ
漫画家。2000年にデビューし、第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。若い頃から母親の過干渉に悩み、その確執と葛藤を描いたコミックエッセイ『母がしんどい』(KADOKAWA)が反響を呼ぶ。そのほか、『しんどい母から逃げる!!』(小学館)、『大黒柱妻の日常』(MdN)、『人間関係のモヤモヤは3日で片付く』(竹書房)、『女40代はおそろしい』(幻冬舎)など話題作多数。

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