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鈴木光司「海の怪」

のび太君、船を買う

 巧君は、破損した船を漁港まで引っ張っていって陸に上げ、毎日そこに通ってはコツコツと修理に勤しんだ。会社の仕事はしないので、たっぷりと時間はある。たった半年で新品同様まで蘇らせた。
 巧君はいい船に仕上がったと満足したが、そもそも自分はもっと大きなヨットを所有している。そこで頭に浮かんだのがのび太君だ。

 のび太くんは、ヨットも得意だったが、自分のヨットを所有したことはなかった。さまざまな船のクルーとして活動していて、いつかは自分のヨットを持ちたいという願望は常にあった。それを巧君も知っていて、この船を売りつけようと企んだのだ。
「この新品同様の船、おまえ買わないか?」
ただで手に入れて、会社からくすねた部品で直したことは伏せて、のび太君に言った。
「いくら?」
のび太君はそんなこともしらず、買えるはずがないと思いながらも聞いた。
「300万でいいよ」

 のび太君にしてみれば、これも渡りに船だった。これが300万? 相場よりも随分安い。このチャンスを逃す手はないと、話に乗った。
 これでようやく、のび太君も自分の船を持てることになったのだ。早速漁港におろして、自分で整備と点検を行い、上機嫌でエンジンをかけることにした。

 実は巧君は、修理の過程で大きなミスを犯していた。のび太君がエンジンをかけようとしたとき、狭いエンジンルームには気化したガソリンが充満していたのだ。
 のび太君がエンジンをかけた、その瞬間。
 バン!! と大きな爆発音が鳴り、炎がぶわっと立ち上がった。
 一瞬、のび太君は何が起こったのかわからず、とにかく火から逃れようと海へ飛び込んだ。
 海面から顔を出すと、炎に包まれたヨットが見える。何かが焦げる臭いがし、それが自分の眉と髪が燃えたことによるものだと知るのは、その後だ。
 そのまま船は海の底へと沈んでいった。
 のび太君は今でもピンピンしているが、眉毛はもうないし、頭はスキンヘッドだ。

 僕が30年ほど前に小型船舶免許を取りに行ったとき、燃料が気化して充満している場合があるから、必ず換気をしてからエンジンをかけるようにと言われた。船の世界では、注意するべき基本的なことなのだ。
 海でも船上でもちょっとしたことが命取りになる。のび太君は髪と眉を焼いただけで済んだが、これ以降、のび太君は爆発の中心、“爆心のび太”と呼ばれている。

Kirill Skvarnikov@Shutterstock
Kirill Skvarnikov@Shutterstock
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鈴木光司

すずき・こうじ●1957年静岡県浜松市生まれ。作家、エッセイスト。90年『楽園』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞してデビュー。91年の『リング』が大きな話題を呼び、その続編である95年の『らせん』では吉川英治文学新人賞を受賞。『リング』は日本で映像化された後、ハリウッドでもリメイクされ世界的な支持を集める。2013年『エッジ』でアメリカの文学賞であるシャーリイ・ジャクスン賞(2012年度長編小説部門)を受賞。リングシリーズの『ループ』『エッジ』のほか、『仄暗い水の底から』『鋼鉄の叫び』『樹海』『ブルーアウト』など著書多数。

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