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霞が関の官僚が利用していた「居酒屋タクシー」の驚愕の実態

「居酒屋タクシー」と呼ばれて

 茨城県牛久市の自宅まで帰る財務省の職員がいて、彼に関してはもう何度も乗せているから要領はわかっている。牛久までの距離は100キロ超。途中で事故渋滞でもなければ2時間ほどで目的地に到着するが、この間に彼が飲むのはスーパードライの500ミリ缶を一本だけと決まっている。つまみの類はいっさい口にしない。ビールの缶をパチンと開けると今日のジャイアンツのピッチャーが誰だったかを必ず尋ねるのはいつものことだ。内海がお気に入りらしく、彼が完封勝利をあげたとかいうと話は長くなるが、逆のケースだと「そうか、打たれたのか」で、黙り込む。彼の家があるのは牛久市内のなんとかいう幼稚園の近くで、道路状況によっては少しばかり運賃に差はでるけれど、いずれにしても四万円前後であるのに違いはない。高速代を含めると約4万2000円。支払いにはクレジットカードを使う。このとき、中邑は4万2000円の領収書といっしょに5000円を現金でバックする。客は領収書を付けて職場にタクシー代を請求するから、タクシーで自宅に戻るたびに5000円が彼の財布に入る勘定だ。指定した時間と場所に乗り心地がいい個人タクシーが迎えにきてくれて、車内には好みの酒とつまみが用意されている。しかも、乗るたびに数千円のバックがあるとくれば、客にしたら言うことなしだろう。一方の運転手の側にしても、客を求めて走りまわらずとも、仮眠でもしながら連絡を待っていれば2万~4万もメーターがでる客が乗ってくれる。客にも個タクにも何とも都合のいい関係は、いつ、どうやって始まったのか、吉永も田村も「よくわからない」と言った。

 個人タクシーとして1年前に営業を開始した頃、中邑は、早ければ午後3時、遅いときでも午後五時には出庫していた。それが、早くても六時過ぎに変わったのは、吉永栄一に誘われて「仕事」をするようになってからだ。足りなくなった酒やつまみを近所のコンビニで補充し、次にガソリンスタンドに立ち寄り、それから都心を目指し2時間ほど街を流しながら例の行幸通りへと向かう。そうすると、中邑がいつもの場所にクラウン・ロイヤルサルーン・ハードトップを止めて守備につくのは8時から11時の間になる。吉永から電話がかかってくるのはたいがい10時を過ぎてからだが、今日は、どういうわけだか早い時間に連絡があって、「11時半に国土交通省のFさんを乗せてくれ」と任された。千葉県の銚子市にある自宅に帰るFさん、3回か4回、これまで彼を乗せたことがあるから待ち合わせ場所は承知しているし、好きなビールの銘柄もチョコレートが載っているクッキーが好みなのもわかっている。霞が関から銚子まで約130キロ、運賃は高速代込みで4万8000円ほどだが、彼の場合もバックは5000円である。Fさんを乗せるまであと2時間。ちょうどいい、2時間ドラマを最後まで観られそうだ。

 皇居に向けてクルマを止め、フェンダーのあたりにもたれかかってラッキーストライクに火を点け、それから宙を見上げ、最初の一服の煙を、ふ~ッ、とやる。月曜日から金曜日まで、雨の日を除けば、本番の仕事を控えた中邑はいつもこうしてきた。カーナビの画面をテレビに切り替え、それからトランクに積んだクーラーボックスを助手席に載せ替える。近所のホームセンターで買ったクーラーボックスに入っているのはコンビニで仕入れた氷でキンキンに冷えた缶ビールが7本のほか、日本酒、焼酎、ウーロンハイ、ミニサイズのコーラも。つまみは、柿のたね、さきイカ、3種類のクッキー、チョコレート、他に、のど飴が2種類。腹が減ったと言われたことがあって、あれ以来、念のためにドーナツも用意した。タバコはマイルドセブンとマルボロのほかに二銘柄、どれも封を切っていない状態で、これはコンソールボックスに収まっている。Fさんにはタバコもドーナツも不要だが、冷やしたラガービールは銚子に着くまでに二缶とも空けてしまうはずだから、彼を降ろしたらコンビニで補充した方がいいかもしれない。

 この仕事をするようになって3か月、中邑の月の水揚げは100万円を切ったことがない。先月は120万円に届きそうだった。ガソリン代や車検、タイヤ交換の費用の積み立てに20万円、客に提供する酒やつまみの代金、それに客へのバックの総額を15万円とみても、中邑の元には80万円ほどが残る。北光自動車交通での運転手時代に較べれば、楽して稼げる、はるかに割のいい商売だと思う。ただ、近ごろの中邑には小さな不安がつきまとうようになっていた。こんなうまい話はいつまでも続かないのではないか。何が起こったわけでもないが、そんな不安が湧いてくることがときどきある。

 一部の個人タクシーと霞が関の一部の役人の特別な関係が「居酒屋タクシー」と呼ばれてメディアを賑わすのは、それから2年後のことである。

(以下、次回に続く)

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矢貫 隆

やぬき・たかし/ノンフィクション作家。1951年生まれ。龍谷大学経営学部卒業。
長距離トラック運転手、タクシードライバーなど多数の職業を経て、フリーライターに。
『救えたはずの生命─救命救急センターの10000時間』『通信簿はオール1』『自殺―生き残りの証言』『交通殺人』『クイールを育てた訓練士』『潜入ルポ 東京タクシー運転手』など著書多数。

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