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運賃値上げは「日本列島改造論」から始まった?

「日本列島改造論からや、そもそもは」

「あの男、無茶苦茶しよる。会社の運転手を警察に売るんやからな」

 呆れたように言ったのは、乗り込んできた警察に現場を押さえられて慌てた運転手のひとり、谷津真一さんだった。

「がらの悪さは京都でも一、二を争う」だの「ワルが集まってる」だのと話に尾ひれが付いてうちの会社の悪評が面白おかしく大袈裟に語られることがあるのは、もとをただせば、ノーカットを目当てに「海千山千の運転手が集まっとるからや」と断言する村井さん。そのうちのひとりの海千だか山千だかが谷津さんだよな、とか思いながら、俺は黙って村井説に同意していた。

 水揚げ23万円だと運転手の取り分は62パーセントだから、給料の総額は14万2600円。でも、うちの会社の給料形態はAB型*2というやつで、この金額だと、そのうちの2万5000円くらいが「後で三か月分をまとめて支給」の一時金としてプールされる。それを別として税金やら何やらを差し引くと、とりあえずの手取りは10万円前後である。大卒の初任給が額面で7万円前後だから、月の水揚げがノーカットぎりぎりの23万円でも手にする給料は悪くない。ところが、どうやら、そう遠くないうちの「タクシー運賃値上げ」が本決まりなものだから、そうなるとノーカットの金額がいくらになるのか、うちの会社の連中は、特に、俺も含め、仕事は吞気に、と考える連中は「なるべく上がらないでもらいたい」と注目しているわけだけれど、会社のことならなんでも聞いてやの村井さんは、27万円か28万円とみているらしい。

「30万にはならない?」

「ならへん思うで。運賃の値上げいうても、いきなり50パーセントも70パーセントも上げるわけやないんやし」

 夏が過ぎた頃から運転手たちは公然と値上げを口にしていたが、実際に「石油危機のあおりをうけてタクシー運賃が上がりそうだ」とテレビが伝えたのは、一か月ほど前、中東での戦闘が終わりかけていた10月20日のことだ。タクシー業界が30~50パーセントの運賃値上げ申請を準備していたところに降って湧いた石油危機。情勢からして燃料代の大幅値上げが避けられそうにないものだから運賃の値上げ幅はさらに大きくなるかもしれない、みたいな内容だった。

「新聞には大幅値上げって」

「いや、タクの運賃の決め方はそんな簡単なもんやない」

 村井さんは断言するようにそう言ってから「石油危機は想定外にしてもやで」と続け、ひといき置くつもりなのか缶ピーを取りだし、もったいつけるようにショートピースを口にしてから、また続けた。

「日本列島改造論からや、そもそもは。石油危機のずっと前からなんや。田中角栄が総理大臣になって、公共料金もなんもかも物価は上がりっぱなしやろ*3。燃料代かてずいぶん上っとる。タクシーかて運賃値上げせなやっていかれへんねん」

 運転手の言葉とも思えない、まるでタクシー業界の立場を代弁するような調子で運賃値上げの背景を話す村井さんなのである。

鮮明な記憶として残った休日

 その日の俺が何をしていたのか、なぜだか鮮明な記憶としていまも残っている。封切りされたばかりの『ゴッドファーザー』を池田屋跡の隣にある映画館で観た日だ。タクシーの運転手になる1年前くらいの木曜日、確か『時計じかけのオレンジ』以来のはずだから、三か月ぶりくらいにでかけた映画だった。7月に入って――俺はいちども見物したことがないけれど――八坂神社とか四条通りあたりでは祇園祭*4の儀式が毎日のようにあるらしいが、観光客が押し寄せてくる宵山よいやまとか山鉾やまぼこ巡行(これは見たことがある)まではまだ10日くらいは間があったから「休み取るんやったらいまのうちにしてや」と仲居さんから釘を刺され、「はい」とふたつ返事で休んだのがこの日だったのだ。

 タクシー運転手になる直前まで働いていた加茂川新館*5は、三条大橋の、百年前に制札場があった場所の並び三軒目に建つ観光旅館で、春と秋の観光シーズンを除くと主な客は修学旅行の高校生である。ここで客室係として布団敷きやら何やらの雑用を任されるのはアルバイトの大学生たちで、なかには同志社大学とか大阪の関西外語大の学生とか、仏教系の龍谷大学に通う俺とかもいたが、先輩からの引き継ぎでもあるのか多くは京都産業大学の連中だった。壁際を黒いパイプフレームの二段ベッドで埋めた部屋での住み込みアルバイトだから、毘沙門堂*6のすぐ前に借りた下宿に戻るのは一週間か二週間に一度くらいしかなくて、だからこの日は、ゴッドファーザーを観たその足で三条京阪駅に向かい、久しぶりに山科に戻ったのだった。

 戻る前から「夜ご飯はいつもどおり山科駅前の『珉珉』で」と決めていた。三条大橋の横にも珉珉はあるけれど、同じチェーン店でメニューも同じなのに微妙に味が違っていて、俺は、山科駅前の珉珉の味が好みなのだ。珉珉なんてどこでもいっしょや、と友だちは鼻で笑っている。

 NHKの夜のニュースが始まったのは、いつもの定番、ジンギスカン定食と餃子を注文したすぐ後のことだ。

 いきなり田中角栄の顔写真が映しだされ、音を消してある店内のテレビ画面に「内閣総理大臣 田中角栄」の字幕がついていた。前日の自民党総裁選挙で福田赳夫を破って第六代総裁に選出されていたから田中角栄の首相就任は既定路線だとはわかっていても、テレビを眺めながら、ふ~ん、日本列島改造論*7か、と、そんな思いが頭に浮かんだのを確かに覚えている。

 道路と鉄道で全国を結び、人口と産業の大都市集中をあらためて国土の均衡ある発展を目指すという日本列島改造論。すぐに反応したのは土地の価格だった。企業は争うようにして土地の買い占めに走り、田中角栄が首相に就任したわずか一か月後には「地方での土地買い占めが著しい」と新聞が書いたほどだった。この年の土地価格は、全国平均でも30パーセント以上も上がっている。その影響で物価は急上昇し、公定歩合の引き下げなど金融緩和策が続いたことで景気は過熱気味になっていくわけだけれど、俺がタクシー運転手になったのは、それから少し後、円が変動相場制に移行してから三か月ほど経った、1973年の5月のことだ。

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矢貫 隆

やぬき・たかし/ノンフィクション作家。1951年生まれ。龍谷大学経営学部卒業。
長距離トラック運転手、タクシードライバーなど多数の職業を経て、フリーライターに。
『救えたはずの生命─救命救急センターの10000時間』『通信簿はオール1』『自殺―生き残りの証言』『交通殺人』『クイールを育てた訓練士』『潜入ルポ 東京タクシー運転手』など著書多数。

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