よみタイ

いつも鏡を見てる

オイルショックについて教えてくれた元商社マンのタクシー運転手

「今日の分は売り切れました」

 灯油はあっという間に大幅に値を上げ、これから先も値上がりが続くと踏んだ東京の石油小売り業者が、灯油2万リットルを空き地に隠していたとかいう話があったかと思えば、灯油以外の石油製品も一気に値上がりし、それでなくとも高くなっていたタクシーの燃料、LPGの価格も大幅に値上がりしそうな気配。おかげで、批判の的になりやすい「タクシー運賃値上げ」の話題が埋もれたような気がする。テレビで「石油危機」という言葉を聞かない日はなくなり、新聞は、社会面はもちろん、海外面を開いても「石油危機」の文字が躍らない日はなくなっている。政府が「石油緊急対策要綱」を閣議決定したのは俺らが村井説を聞くしばらく前のことだ。「石油の総需要を抑え、石油不足によって引き起こされる諸物価の値上げを防ぐ物価対策の意味合いが強い」と評論家が話すこの閣議決定。中身を解説する新聞には「マイカー自粛」の文字もあった。

「自家用があかんのやったら、みんなタクに乗るんとちゃうか」

 畑野は、少しばかり期待でもしているのか、そんなふうに言ったけれど、その場にいた谷津さんは「そんなわけあるかい」とばかり、言葉にこそしなかったが、冷やかな目を畑野に向けた。

 中東戦争勃発のニュースを聞いてから2か月も経っていないというのに、世の中のこの変わりよう。タクシー運転手になったばかりの俺は、いつの間にやら石油危機の巻き添えをくらうひとりになっていた。中東での戦闘はとっくのとうに、巨人が優勝を決めた日に終わっているのに、供給量が減ったために割り当てられる燃料はいまも一律20リットル。10リットルというときもあったし、長い列に並びはしたが、「今日の分は売り切れました」と無駄足を踏まされることさえあった。いつだったかヤサカタクシーの運転手募集広告に、自社スタンドだから給油が楽ですよ、みたいなことが書いてあるのを見た覚えがある。さすが大手のヤサカタクシーと羨ましくも思ったものだが、こんな広告がでるくらいだから、山川石油まで走るうちのクルマは特別だとしても、京都ではどこの会社の運転手も給油には難儀させられているのだろう。京都だけでなく、大阪だって東京だって状況は似たようなものかもしれない。

「世の中、こんな大変なことになっとるんやで。それでもうちの会社は安うしてくれの支払いは2か月後やとか言うとる。どこのスタンドもうちのクルマはお断りやわな」

 山川石油に着いて列の最後尾に止まると、そのたびに俺の頭には村井さんのこの言葉が浮かぶのである。

(以下、次回に続く)

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矢貫 隆

やぬき・たかし/ノンフィクション作家。1951年生まれ。龍谷大学経営学部卒業。
長距離トラック運転手、タクシードライバーなど多数の職業を経て、フリーライターに。
『救えたはずの生命─救命救急センターの10000時間』『通信簿はオール1』『自殺―生き残りの証言』『交通殺人』『クイールを育てた訓練士』『潜入ルポ 東京タクシー運転手』など著書多数。

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