2021.4.6
20年経った今でも忘れられない、バイト先の牛丼チェーン店で最終日に食べた牛鍋の味
十数年ぶりのアルバイトで思い出した己の要領の悪さ
十数年ぶりにアルバイトをすることになった。大阪市内にあるお寺で行われる縁日で、その縁日はいつも境内に出店がいくつも並んで賑やかなのだが、その中に赤飯や大福を売る屋台があり、そこで売り子をすることになったのだった。
屋台のオーナーと知り合い、「暇だったら手伝って」と声をかけられてなんとなく働くことになり、「はい、行きます」と安請け合いをしたものの、私は自分の要領の悪さをすっかり忘れていたことに気づいた。
その屋台では赤飯、大福、干し芋、切り餅など何種類かの品物を並べて販売しているのだが、当然それぞれ価格が違う。お客さんにパッと手渡された複数の品物の合計価格をサッと計算してその金額を伝え、そうしている間にビニール袋に品物を詰め、お金を受け取ってお釣りを渡して……と、こう書いてみると当たり前の流れだけど、こんな風にいくつものことを同時に処理しなければならないようなことが私はとにかく苦手なのだ。
お金を受け取ってお釣りを渡し、「ありがとうございましたー!」と声を出す私をお客さんが不思議そうにじっと見つめ、「あれ……大福は?」と言う。そこで初めて品物を渡すのをすっかり忘れているのに気づく。そんなことが何度もある。屋台で一緒に働いている先輩たちはみんな優しく、のろのろしている私を機敏にサポートしてくれた。自分のいたらなさと、それによって周りに迷惑をかけているといういたたまれない気持ち。
アルバイトをすると私はいつもこういう気持ちを味わうのだった。
昼休憩にお弁当をもらって食べながら、私はずっと前に友人から聞いたアルバイトの失敗談を思い出していた。
友人はかつてケーキ工場で短期バイトをしていた。ベルトコンベヤーに向かい、決められた作業を延々と繰り返す。上流にいる人が土台となるスポンジケーキを置く、次の人がそこにクリームをホイップする、また次の人がトッピングを加える、というように、各パートの作業の積み重ねで徐々にケーキができあがっていくわけだ。
友人が任されたパートはモンブランケーキの上に栗を置くというものだったという。栗を一つ、ケーキの上に乗せるだけでいい。ただただそれだけを繰り返せばいいのだ。しかし、友人はその単純作業がうまくこなせず、一度自分が置いたはずの栗をなぜか自分でまた取ってしまう。
同じ字を何度も書いているうちに「この字、こんな形だっけ?」とゲシュタルト崩壊するみたいに、「栗を乗せるんだっけ? それとも取るんだっけ?」と、わけがわからなくなってくるのだそうだ。
友人はそのミスを繰り返して何度か全体の流れを止めてしまい、最終的にはベルトの上に紙の器を置くという、工場内で最も簡単な作業を任されることになったそうだ。
「わかるわぁ」と私は思う。
友人も私も、思考がバグを生み出しがちなのだ。栗を乗せたり取ったりしている友人の姿を思い浮かべるうち、私は10代の終わりにやっていた牛丼チェーンのアルバイトのことも思い起こした。