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20年経った今でも忘れられない、バイト先の牛丼チェーン店で最終日に食べた牛鍋の味

24時間365日無休の牛丼屋で私がやらかしたこと

地元に近い場所にあるそのチェーン店で、私は主に深夜帯のアルバイトをしていた。深夜になると時給がグッと上がる。当時、どうしても欲しい音楽機材があって、それが割と高価だったので早くまとまったお金を稼ぐ必要があったのだ。最初のうちこそ先輩に作業を教わりながら働いていたが、しばらくして仕事に慣れてくると、深夜帯の営業を一人で任されることになった。

夜中の来客はあまり多くないエリアだったが、それでもグループ客が来たりすると一気に慌ただしくなり、並行して進めなければならない作業が増える。そうなると私の動きに色々なバグが発生してくる。

様々なオーダーに応じて単品やセットの料理を用意する。その間に会計をして出ていく人もいる。忙しい時に限ってレシートの紙ロールが切れたりする。お客さんが帰った後はすぐに片付けてテーブルを綺麗にしなければならない。使用済みの食器は大型の食洗器に入れてどんどん洗っていかないと器が足りなくなる。あ、またお客さんが来た。と、色々しなければならない中で、私は肝心な作業を忘れていた。
米を炊いていなかったのだ。

大きな炊飯器からご飯を盛り付けて提供しながら、残りがある程度の量になった時点で次のご飯を炊いておかなければならないのだが、それをうっかり忘れてしまっていた。するとどうなるか。牛丼屋なのに牛丼が提供できないのだ。牛皿なら出せるけど……いや、そういう問題ではない。

ご飯が無いことに気づいて仰天し、すぐに店長に電話で報告する。
「え!何やってんだよ! とにかく急いでドアに『しばらく休みます』って書いた紙を貼って!」と、言われた通りにして、米が炊けるまでの間、店を閉めた。

後になって「24時間、365日。開店以来休むことなくやってきたこの店を、君は初めて閉店させたんだよ!」と、こっぴどく叱られた。

牛丼チェーン店のメニューのバリエーションは実は結構豊富だ
牛丼チェーン店のメニューのバリエーションは実は結構豊富だ

持ち帰りの牛丼弁当の中身が全然違ったと店にお怒りの電話が来て、走って謝罪しに行ったり、私がぼんくらであることに目をつけた暴走族集団に店をジャックされたりと、あの店では色々なことがあったな……と、過去の数々のシーンを思い出すうちに自分のダメさに頭を抱えたくなった。

けれど私は今でも牛丼はあのチェーン店で食べると心に決めている

しかし、心に残るようないい時間もあった。店に色々と迷惑をかけて居づらくなり、ついにバイトをやめることになった私。今日がシフトの最終日だという時のことだ。私がその牛丼屋で働くようになって以来、いつも作業を教えてくれたベテランアルバイターのSさんと私の二人で深夜帯の店をまわしていた。

一人だとグダグダになってしまう私の仕事も、ベテランのSさんの指示に従って一つ一つの作業をこなしていくのであればなんとか形になっていた。翌朝以降の分の仕込みもあらかた片付き、来客の波も落ち着いた午前2時頃、Sさんがレジのところで何やらしている。

「今からパーティーだから。その分は払っておいたから」とSさんがいう意味がその時はわからなかったのだが、どうやら自分の財布から何杯かの牛丼代を支払って店の食材を確保してくれたらしかった。空いた寸胴に牛丼用のツユを入れ、そこにたくさんの肉と玉ねぎを入れて煮込み、特製の牛鍋を作ってくれたのである。

ベテランのSさんは普段から牛丼の仕上がりに強いこだわりを見せていて、玉ねぎを丸ごといくつも鍋に投入して甘みを出すなど、マニュアルにないことまでしていたほどだ。そのSさんが作る究極の牛鍋。厨房の隅、客席から身を隠すようにして二人で身を寄せあい、器の中に生玉子を溶いて濃いめに煮込まれた牛肉をすき焼きのようにして食べる。これがもう、店の外に駆けだして「うまい!」と叫びたくなるほどの味わいだったのだ。

その絶品牛鍋を二人で食べながら、「なんかさ、色々大変なこともあったけど、俺も最初はそんなんだったよ」とSさんが優しい言葉をかけてくれる。「色々迷惑をかけました。すみません」「いや、やめなくてもいいと思うけどね。寂しくなるよ」「あ、いらっしゃいませ!!」と、来客があればさよならパーティーは中断、すぐに仕事に戻る。そんな滑稽さも心に沁みる。こうしてSさんと二人、店のメニューのどこにもない料理を食べた時間があったというだけで、自分のダメさにも意味があったように思えてくるのだった。

アルバイトをやめてからもう20年も経つのに、未だに自分は牛丼チェーンならそこ一択と心に決めている。しかしもちろん、どのメニューを食べてみても、あの牛鍋には遠く及ばないのだ。

(了)

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スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。
WEBサイト『デイリーポータルZ』『メシ通』などを中心に執筆中。テクノバンド「チミドロ」のメンバーで、大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。
著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、パリッコとの共著に『酒の穴』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ"お酒』など。
Twitter●@chimidoro

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