2020.7.28
見たことすらない三匹の犬の話でビールがすすむ夜
また別の友人の話。
長い間、実家でノノという名の柴犬を飼っていた。ノノの定位置は玄関先だったのだが、とにかく朝方の機嫌がすごく悪い犬だった。友人が学校に行くために外へ出ようとすると、眠りを妨げられたノノがイラついて足首を噛んでくる。お父さんが会社に出ていく時も同様の危険があった。毎朝、必ず通過しなければならない場所に噛む動物が鎮座しているなんて、なんてハードな設定なんだ。
ある朝、イライラして乱暴するノノを友人の母が「やめなさい!」と制しようとしたところ、手をガブリと強く噛まれたそうである。「ノノはずっと前に老衰で死んじゃったんですけど、今もお母さんの手にその傷が残っていて」と友人は言う。
絶対に会えない犬に思いを馳せる不思議な心地よさ
私は、見たこともないノノが友人の母の手に残した傷のことを思い浮かべた。もちろん、思い描いてみたところで、それが実際とは違うでたらめなイメージに過ぎないのはわかっているけど、とにかく想像してみる。
チコもクンタもノノも、まったく私の知らない犬である。
三匹とも、もうとっくの昔に死んでしまったが、友人たちの頭の中にはその姿が色々な風景とセットになって今も記憶されている。
そしてそれを私が聞いて、居酒屋の酔い心地の中で想像してみている。触れることのできない犬の姿。その心もとなさが、なんだか心地いいのである。
(了)